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古文真寶 -9/10 [稲門機械屋倶楽部]

                                                 2012-06 WME36 村尾鐵男


晝錦堂記 欧陽永叔(宋)


季子不禮於其嫂、買臣見棄於其妻。


晝錦堂記(チュウキンドウキ)
欧陽永叔(オウヨウ・エイシュク)
季子(キシ)は其の嫂(アニヨメ)に禮せられず、
買臣(バイシン)は其の妻に棄(ス)てられる。

 晝錦堂記の「晝」は今は「昼」と書くのが一般的です。季子も買臣も人名ですが、季子は蘇秦として知られ、買臣は朱買臣のことです。


 蘇秦(ソ・シン)は紀元前四世紀の弁論家であり合従連衡を説き、戦国七ヶ国の内、秦を除く燕、趙、韓、魏、斉、楚の六ヶ国の宰相を兼務しました。蘇秦の言葉として有名なのが、「鶏口となるも牛後となるなかれ」で、韓の宣恵王を説いたときの言葉です。


 朱買臣(シュ・バイシン)は紀元前二世紀の人で、漢の武帝に仕えました。「覆水、盆に還らず」は一般的には太公望の言葉として伝えられますが、朱買臣の言葉だとする説もあります。


 蘇秦も朱買臣も若いときは貧窮に苦しみました。蘇秦は家へ戻っても兄嫁から冷遇され、食事のときも兄嫁が同席してくれぬほどであったと伝えられます。


 朱買臣は薪を売って歩き、背に薪を背負い、歩きながら読書に努め詩を詠ったと伝えられます。遂に妻から離縁され、その元の妻が離婚後の朱買臣の貧窮振りに同情して、新しい夫と共に朱買臣に食事を恵みました。その朱買臣も後には会稽の太守に栄進しております。


 欧陽永叔(1007-1072)は欧陽脩として知られますが、北宋時代の政治家であり、文筆家でもありました。私には見つけることができないのですが、欧陽脩に「日本刀歌」があります。これは日本刀を詠ったものではなく、中国で散逸してしまった貴重な文献が日本では大切に保存されていると言うものです。


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