創作短編(45):江戸時代屈指の名君上杉鷹山 -9/11 [稲門機械屋倶楽部]
2012-06 WME36 梅邑貫
アメリカの第35代大統領ジョン・F・ケネディーは、訪日した際に羽田空港で日本人記者団に囲まれ、「日本人政治家で尊敬するのは誰か」と女性記者に問われて、「ヨーザン・ウエスギ」であると答えたそうです。
しかし、この話は如何に調べても判りません。先ず、ケネディー大統領は日本を訪れていません。アメリカでの記者会見かとも思われますが、何時、何処で、誰が質問したかが判らないままです。
明治33年(1900年)、新渡戸(ニトベ)稲造が流麗な英語で著した “Bushido: The Spirit of Japan” がアメリカで発刊され、各国語に翻訳されて一大ベスト・セラーとなりますが、日本ではこれが和訳されて「武士道」として知られます。新渡戸稲造は陸奥國盛岡藩の十四代藩主南部利剛(トシヤス)の用人を務めた盛岡藩士新渡戸十次郎の三男として文久二年(1862年)に生まれていますが、アメリカへ渡って勉学に励みました。
この「武士道」に上杉鷹山とその事跡が書かれており、明治維新後に台頭目覚しい日本を知るためにアメリカ大統領の必読書でもありました。
ですから、ケネディー大統領が「武士道」を読んでいても不思議ではなく、先に記した記者会見の真偽は別にして、上杉鷹山が政治家として、洋の東西を問わずに模範であり、私心を捨てた為政者の姿として記憶に残っていたのでしょう。
又、新島襄の著作にも、上杉鷹山に言及する部分があるそうですから、アメリカの大統領や識者に読まれている可能性は大です。
新島襄は、本名を七五三太(シメタ)と言いますが、天保十四年(1843年)、上州安中藩の江戸の屋敷で生まれた藩士の子です。元治元年(1864年)六月十四日、蝦夷地の箱館より米船でアメリカへ密航し、長い欧米体験を積んで学者を志し、同志社大学の創設者としてもよく知られております。
巧みな英語で書かれた新渡戸稲造と新島襄の著作は、当時の欧米人による日本研究には欠かせないものでした。







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