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創作短編(46): 山田方谷の偉業 -8/11 [稲門機械屋倶楽部]

                                  2012-07 WME36 梅邑貫
 

方谷は特産品の生産増大を奨励するために「撫育局」を設けて、備中松山藩の特産品を専売制としました。農民や生産者の取り分を大きくし、藩は流通経路を工夫して藩庫をも潤う方谷の計画です。この改革策に沿って、大阪に構えた藩の蔵屋敷を廃止しました

 大阪の問屋が取る流通経費が大きく、今までは利益が殆ど上げられずにいたのですが、これを備中松山藩へ取り戻そうとの考えです。
 代わって、藩内に倉庫を設け、さらに洋式蒸気船「快風丸」を買い、大消費地の江戸へ、その折々の相場を観ながら米も含めた諸々の商品を直送しました。

 備中松山藩の江戸上屋敷は外桜田の大名小路の一角にあり、今の日比谷公園の東北角のあたりでした。まさか江戸城に向い合う上屋敷で特産品の販売を行うことはできないので、歌舞伎座の裏の辺りに位置した中屋敷と市谷台町にあった下屋敷の中に倉庫と特売所を設けて、ここで備中松山の特産品を売り捌きました。


 先に記したように、山田方谷は価値の著しく低い藩札を大量に燃やし、代わって「永銭」と名付けた新しい藩札を発行しました。山田方谷の緻密な頭脳から案出された財政改革は見事に的中し、「藩札を燃やした」との話が全国に伝わり、価値の高い新たな藩札が他藩でも流通し始めると共に、他藩の通貨が備中松山へ集り始め、「貧乏板倉」との不名誉な言葉もいつしか聞かなくなりました。

 創作短編が創作長編にならぬよう、再度、先を急がせていただききます。


 安政元年(1854年)、山田方谷は藩主板倉勝静によって参政に任じられました。参政とは備中松山藩の宰相、即ち、総理大臣です。山田方谷による改革は財政に限ることなく多岐に及びました。藩校を充実拡充して、出自を問わずに入校させて、優秀な者は積極的に藩政に起用しました。方谷自身が農民であったので、誰であれ優れた者を起用することに躊躇いはなく、それを藩主板倉勝静も「優れたる者、今こそ必要である」と容認しました。


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