江戸東京博物館「日本橋展」 [稲門機械屋倶楽部]
2012-7-14 WME36 村尾鐵男
本日、再び中学時代の旧友藤澤篤尚氏に誘われて両国にある江戸東京博物館の「日本橋展」を観に行きました。かなり前から誘われて、しかも開催日が16日までなので、今日、不安定な天候の下、思い切って出掛けました。
日本橋の上に首都高速道路が被さったのが昭和38年(1963年)、東京オリンピックに備えた駆け込み工事の一つで、当時は誰からも「日本橋の景観を護れ」との声を聞きませんでした。
日本橋は江戸時代のものと造りが異なるとは言え、今も同じ場所に日本橋がありますから、広重や北斎が描く往時の日本橋は容易に想像できるものです。
日本橋から江戸橋の間の河岸に魚市場があって、両国広小路と並ぶ江戸最大の繁華街でした。
日本橋に東京市電が走ったのが明治も終わりの頃、私の両親が生まれた頃であり、今のような本格的な石造りになったのが私が生まれる二年前のことで、これも十分に想像が働く範囲内にありました。
鉄道馬車が日本橋の上を走ったのは明治初めの頃のようで、これは想像の働く以前のことで、私の祖父母の時代です。
本日、再び中学時代の旧友藤澤篤尚氏に誘われて両国にある江戸東京博物館の「日本橋展」を観に行きました。かなり前から誘われて、しかも開催日が16日までなので、今日、不安定な天候の下、思い切って出掛けました。
日本橋の上に首都高速道路が被さったのが昭和38年(1963年)、東京オリンピックに備えた駆け込み工事の一つで、当時は誰からも「日本橋の景観を護れ」との声を聞きませんでした。
日本橋は江戸時代のものと造りが異なるとは言え、今も同じ場所に日本橋がありますから、広重や北斎が描く往時の日本橋は容易に想像できるものです。
日本橋から江戸橋の間の河岸に魚市場があって、両国広小路と並ぶ江戸最大の繁華街でした。
日本橋に東京市電が走ったのが明治も終わりの頃、私の両親が生まれた頃であり、今のような本格的な石造りになったのが私が生まれる二年前のことで、これも十分に想像が働く範囲内にありました。
鉄道馬車が日本橋の上を走ったのは明治初めの頃のようで、これは想像の働く以前のことで、私の祖父母の時代です。
江戸東京博物館へ行くときは、横須賀線を馬喰町で降りて、江戸時代の両国広小路を突っ切って、両国橋を徒歩で渡り、回向院を右に見て、国技館を左に見ながら両国駅に隣接する江戸東京博物館まで歩きます。
往路は「ぼくあずさは地球人」に連載される「創作短編」の時代に我が身を引き戻し、帰路も両国橋を歩いて渡りながら、その余韻に想いを馳せます。
でも、今日は暑くて歩くのに厳しい一日で、さすがに年齢は争えず、疲れた一日となりました。 (了)







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