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こげ茶色の細い竹 -21/21 [北陸短信]

刀根 日佐志

   
家へ着くと玄関に、奥さんと息子さんが出迎えていた。苦りきった表情ではなかった。何をしてくれたかと、次郎は責められると思ったが、そんな態度は見せなかったので安堵した。
  
寝室に用意された自分の布団に、運ばれて寝ると、先生は薄目を開けた。両手両足を広げて、大の字になり、「あー、あー」と叫び両眼から数滴の涙を流した。そして目を閉じた。大きな身体は、やつれた顔と比較すると衰えて見えなかった。

    きっと先生は、身体に染み付いたいつもの布団の暖かみと、畳の程よい硬さを全身で満喫しているに違いない。
「この寝床の感触だ! もう一度、肌で感じてみたかったのは……。見ておきたかった天井の木目模様、あそこに汚れがあった! 襖の丸い取っ手、いつも開け閉めしていた。この部屋の少し冷えた空気の臭い……。安らぎを感ずるなあ」
   
と身体全体で、感じ取っていたのだろうか。静かに、深呼吸をしているように見えた。
   
残った生きる時間の全てを、この満足感で、満たそうとしているように思えた。同時に、俺は精一杯生きてきた。もう、これで何も要らないというメッセージが、次郎の耳に聞こえて来たような気がした。
  
それから、じっと目を閉じていたが、物事を達成した喜びを表すかのように、微かに口元がほころび、動いたかに見えた。何か囁いているのであろうか。確かに聞こえた。次郎には「アリガトウ」と聞こえた気がした。
  
すると、次郎は目頭から大粒の涙が、湧き出てきた。奥さんも、息子さんにも聞こえたのであろうか、すすり泣く声がしてきた。
  
その後、先生は、目を覚ますことはなかった。

  
翌日の夕方、次郎は書斎にいた。本を開いても文字が目に入らない。頭の中が白い雲で覆われたように、何も考えることができなかった。だが、昨日のことだけが、駆け巡っていく。
「本当に、正しいことをしたのであろうか」という言葉が、流れていった。やがて、白い雲にかき消されていった。
  
突然、バタンと大きく弾んだ音がした。音のした方を見ると、書斎の隅に立て掛けてあった拾数本の細い竹の一本が、床に倒れていた。
   
所々、まだら模様になった灰色の斑点が、目につくこげ茶色である。ひときわ、艶があり照り輝いていた。
                                                                           
(完)


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こげ茶色の細い竹 -20/21 [北陸短信]

刀根 日佐志

 このままでは、面倒な事を考えねばならない。病院で治療を続けて欲しいと思い、次郎はもう一度同じことを聞いてみた。
「家へ帰って何をするのですか」
「家に帰り、これで……終わり……」
 先生は言葉を選んでいる。私には最後の大仕事がある。この時に至って酸素、点滴、心電図、こんなものは無用の長物であると、言わんとしているのであろうか。次郎は白髪が乱れ、顎の細った先生の顔を、見つめ直した。
「先生、ご自宅へ電話して、奥様の了解を得て下さい」
「それは……自宅に着いた……とき……話す……」
 次郎は医師に、相談に行こうかとも考えたが、とうに先生が自らお願いして、許可が下りなかったと考えた方が自然である。とすれば、医師の話を聞いている息子さんに、頼んだとしても同じ返事なのかもしれない。
  
最後の声を喉から絞り出すように、自分の切実な願いを訴えている。先生からの、たってのお願いである。できることなら、何とかして上げたい。
  
せめて、先生の奥さん、息子さんの了解を取らねばならない。それは、車の中から電話で、事後承諾を得ることにしよう。これ以上、難しいことを考えていても、前へは進まない。
  
次郎は携帯電話を取り出すと、会社に電話を掛けようとしたが、いったんはとどまった。難しい問題を背負いかねないと少し考えていたが、眼前の先生の顔に目を遣ると、また電話に手をかけた。先生の願いを叶えるために、自分がその責めを受けようと決断をした。
  
電話に出た社員に、次郎は携帯電話を握る手に力を入れて早口で叫んだ。
「君と体の大きい者二人で、ワンボックスカーに乗って、T市の住安病院へ急いでくれ。詳しくは、来たときに話す」
 
それから、若い二人の社員が、病室に着いたころには、先生は自分で点滴のチューブを取り外し、全ての準備が終わっていた。
「君たちは思いの外、早く来てくれた。先生にコートを着せてから、両肩を二人で支えてくれ。俺が先導するから、エレベーターに乗せ、下まで降り、車に乗せてくれ」
  
先生の両肩を、二人の屈強な若者が支えていた。だが、先生の体重がもたれ掛かると、彼等は歩きにくそうであった。
  
次郎が先に立ち、病院の玄関に出た。見舞い客と思われる数人が通り過ぎたが、何も気付かれた様子はなかった。幸い、看護師とは出会わなかった。車の中まで担ぎ込むと、先生は疲れを癒すように眼を瞑り、じっと、後部座席に横になり寝ていた。


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こげ茶色の細い竹 -19/21 [北陸短信]

刀根 日佐志

 次郎のことを、先生はいつも「夏山社長さん」と丁寧に呼んでいるが、今も変わらない。寝ている顔を、斜めに向けてしゃべる顎には、歯がなかった。気が付かなかったが、今まで入れ歯であったのだろう。
「先生、何なりとどうぞ」
「今から、社長さん……会社の若い方……二人連れてきて欲し……」
「何をするのですか」
「両脇を……若い人に支えて欲しい……私を自宅まで、連れて行って……。最後のお願いだ……」
「そのときは、病院の了解が必要になりますね」
「そんなことは必要な……い。私が帰ると言っている……。それでよい」
「私は、病院を出る旨の……手紙は書いてあるので……枕元においていく」
 父の身体は衰弱していますが、人の言うことは正確に理解しています。自分の話すことも的確ですと、息子さんが話していた。今でも相変らず頭脳明晰である。
「酸素吸入などは、どうしますか」
「こんなものは……、いらない。気休めだから……。今も横に置いて……あるだけ……」
 先生は念押しをするように、枕の横に置いてある酸素マスクを、左手でぽいと布団の上に放り投げた。
「点滴をしていますが、このまま付けていくのですか」
「いやこれは皆、関係の……ないもので、今外しても……よい」
 左手で水飲みを持ち、右手で水飲みに差し込んだストローを、引き寄せ水を飲んだ。飲むと、少し楽になるのか、心持ち言葉は滑らかに聞こえた。
「息子さんに、連絡してみましょうか」
「連絡をしない……で欲しい」
「自宅へ帰って、評価の仕事をなされるのですか」
「次の会長は山田先生に……お願いした……これでよい。もう評価の本も……書いた。……これでよい」
 かなり疲れたのか、しばらく目を瞑り、じっとしていたが、顔を左右に動かすと、目を開けた。そして苦しそうに咳払いをした。
「では、家へ帰って何をするのですか」
 まだ遣り残していることがあり、先生は心残りなのかと思い、次郎は聞いてみた。
「家へ帰って……。これで終わりにしたい……」


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こげ茶色の細い竹 -18/21 [北陸短信]

刀根 日佐志

   
細い線や何本ものチューブが交錯して、胸や腕の上を這い回っている。ベットの脇にある計器が、波形を描いて揺れ動いている。心臓の動きを、監視している装置なのであろうか。しばらく、側に立っていたが、左右の腕を動かしたり、浴衣から剥きだしになった足をばたつかせたりしていた。
  
何とか起こしてみようと思ったが、大声を掛けたり、身体を揺さ振ったときに、点滴チューブが外れたりしたら問題が生ずる。何か差し障りがあってはならない。
  
このような病人の扱いは、どうしたらよいのか分からない。家人ならよいが、他人が黙ってこの場所にいて、病人に異常状態が発生したら、次郎が何かしたのではないだろうかと、疑われかねない。 
   
廊下に出て、看護師が通ったら、先生を起こしてもらおうと考えた。幸い廊下に出たところに、椅子があったので暫く座っていた。
   
病室からパジャマ姿の患者が、トイレに入って行くのを見かけただけで、誰も通らない。ときどき咳が聞こえるが、ほかの物音はしない。そこには、寂し気な廊下が伸びていた。
  
このソファーに座っているだけでは、何にもならないと思うと、次郎は自分がここにいることに違和感を覚えた。
  
見渡してみたが、四階には病室しかなさそうである。三階まで階段を下りてみた。すぐ目の前に、蛍光灯があかあかとついたナースステーションがあった。看護師が三人、テーブルを挟んで、書類を見て話し合っていた。
  
次郎は声を掛けた。
「連絡があったので、沖峰さんの病室に行ったのですが、寝ております。どうすればよろしいですか」
「K市の方ですか。先ほどの電話の」
 若い看護師の返答に次郎は安心した。電話があったときの、最初に出た人は看護師だったのだ。
「一緒に行きましょう。いま寝ているので起こしてあげますよ」
 話が終わると、すぐさま看護師は、飛び跳ねるように階段を上って行った。次郎は遅れて後を追ったが、病室に着くともう大きな声で先生を起こしていた。
「K市の方がきましたよ!」
 看護師は先生が起きたのを確認すると、細い懐中電灯をポケットから取り出した。そして、喉の中を照らし笑顔で呼びかけた。
「喉は大丈夫ですね」
 痰が詰っていないことを、確認したのであろう。終わると、足早に病室を出て行った。
「夏山社長さん。お願いで……す」


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こげ茶色の細い竹 -17/21 [北陸短信]

刀根 日佐志

   
目の前には、薄汚れた白い壁と、冷え切った床に囲まれた殺風景な待合室があった。緑の観葉植物の植木鉢でもあればよいと見渡したが、小さな花瓶一個すらなかった。茶色の古びたソファーには、沈んだ顔をした人が五、六人座っていた。
  
そこは、寂寞とした空間にしか見えなかった。受付にいた女性に先生の病室を尋ねると、明るい声で詳しく教えてくれた。この病院に入ったときの「暗い」という第一印象は、少しだけ消えた。
  
受付の先にあるエレベーターに乗り、四階で降りた。次郎の眼前を、点滴スタンドから垂れ下がった細いチューブを、腕に絡めた人が、痩せて細くなった手で、その点滴スタンドを押しながら、カラカラと音を立てて横切って行った。
   
もうここは、元気そうな男女が、鞄や書類を抱えて行き交うオフイスビルではない。歩きながら、廊下の左右を見た。身体に何本もの細いチューブと、口に酸素マスクを付けている人が、ベッド上で天井を見詰めている。そのような人が何人も寝ていた。トイレの前を通ると小便の臭いがしたが、通り過ぎると臭いは消えていた。
   
個室に入院していると思い、廊下を歩いたが見当たらない。引き返し反対側を探すと、先ほど、降りたエレベーターを通り過ぎた所に、個室があった。
 病室に扉はなく、カーテンだけで名札もなかった。入ってみると、すぐ手前にソファーがある。その横に、カート上に載せた大きな酸素ボンベが、置いてあった。
   
奥の窓側に進むと、先生が浴衣を着て、ベッドからはみ出んばかりに、大きな身体を大の字にして寝ている姿があった。
   
チューブの付いた酸素マスクが、口からこぼれ落ち、枕元に転がっていた。アンパンのように丸い顔は、頬がやつれて、いつも切り揃えていた口髭は、無造作に伸びていた。伸び放題の顎ひげは、寝癖がついたように、方向が定まらず勝手に伸びている。
  
半分、目が開いているみたいだが、起きているのか、寝ているのか判然としない。目からは、涙が滲み出ているようだ。小さな声で名を呼んでみたが、ときどき、「あー」「あー」と言う苦しそうな声を出す。意識が朦朧としているのだろうか。気が付いて貰えない。


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こげ茶色の細い竹 -16/21 [北陸短信]

刀根 日佐志

 次郎は電話帳やインターネットで、スキヤマ病院を調べてみたが見当たらない。先ほど、最初に電話に出たのが奥さんだとすると、病院に付き添いでいるに違いない。では自宅は留守である。そこで息子さんの勤めている所は、N銀行と聞いていたので、電話を掛けてみた。
「父から電話があったのですか。思考力はしっかりしておりますが、身体はかなり弱っております。自分で電話口まで、行くことはできないと思います」
「最初は、女の方から電話が、ありました。奥さんではなかったのでしょうか」
「母は付き添っていません。看護師さんでしょうか。父はどうやって、電話をしたのでしょうか。もしかして、携帯電話からかもしれません」 そう言われれば、若い女の声だったかもしれない。取り急ぎ、入院先の病院を聞いたが、住安病院であることが分かった。
 
T市の友人に、電話でその病院の場所を聞いた。その友人は懇切丁寧に、車で行く道順を教えてくれた。最後に彼は「あそこの病院は末期がんの患者が多く入院しているよ」とも言った。その言葉が、いつまでも心の中に突き刺さり、「先生の容態が、よほど悪いらしい」との気持ちが昂ぶってきた。
  
急に、次郎が呼び出されたのは、どのような用件なのか気になった。もう余命僅かと思い、遣り残しの仕事について、相談しようとしたのであろうか。それとも評価の件で、今後よろしく頼むということなのだろうか。

「父は友人や知人が、見舞いに来るのを拒み、病院名は絶対に知らせなかったのですよ。先日も、一番仲良くしていた高校時代の同級生が、病院を探し当て、見舞いに来たのですが、父はお断わりして会わなかったのです。夏山さんを一番信頼していたようですから、何か知らせたいことが、あるのでしょう」
と息子さんは言っていた。

  
取り急ぎ、四時に住安病院へ入った。玄関には多くの履物が、無造作に脱ぎ捨てられてあった。その履物を掻き分けた隙間に、次郎は靴を脱ぎすてた。そして、病院名の印刷が消えかけた、薄っぺらなスリッパに履き替えた。
床に敷かれたグレイのリノリュウムから、コンクリートの冷たさと、硬さが直接足の裏に伝わってきた。それが頭の芯まで、到達してくるような感じがした。急いで、別のスリッパに履き替えてみたが、ボール紙のように薄くひんやりして、感触は変わらなかった。


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こげ茶色の細い竹 -15/21 [北陸短信]

刀根 日佐志
  
  
数日後、先生の自宅に電話をすると奥さんが出られた。
「どこの病院に入院されたのですか」
「それは本人が言わないでくれということなので……」
 先生も先日、そのように言われていた。 
 
季節は、夏から秋に移りかけていた。次郎の会社でも不況が長引くと、売上げが知らぬ間に落ちていく。原料の新しい利用方法や、新製品の活用について、どんどん客先に情報を提供することに力を入れていた。
   
会社で朝から次郎は、取引先に持参する提案書の作成に追われていた。気が付くともう昼時間だった。昼食を済ませ会社の事務所に戻ると、仕入先の会社から電話を受けた。
「夏山さん。新製品のご紹介にあがりたいので、三時頃にお伺いします」「分かりました。その時間にお待ちしております」
受話器を置くと、終わるのを待っていたかのように、電話のベルが鳴った。
「夏山社長さんいらっしゃいますか」
 女性の声がした。
「はい私ですが」
 
電話の向こうでは、「はい出ましたよ」と言うと、続いて先生の声が、受話器から流れてきた。
「夏山社長さ…ん……沖峰で……」 
 
喉からやっと絞り出したような、掠れた弱々しい音声が、聞こえてきた。次郎は思いのほか、先生の身体が衰弱していることを感じ取った。
「私は……病院に…います。いますぐ……来てください」
 辛うじて言葉が聞き取れた。
「どこの病院ですか」
「T市のスキ……ヤマ病院…です」
 水中でしゃべっているような、よく聞き取れない声である。ときどき、普通に聞き取れる言葉もある。聞き返してみたが同じであった。
「三時に来客がありますので、四時に参ります」

「今すぐ来…れば……三時までに戻れ……」
「時間が窮屈なので、四時にして下さい」
「……分かりまし……」
 声が続かないのであろう。そのまま切れてしまった。


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こげ茶色の細い竹 -14/21 [北陸短信]

刀根 日佐志

  
それから、先生は皆からの意見が出尽くすのを、じっと待っていた。いらいらしている様子もなかった。一身上のことを、話すタイミングを待っていたのが窺い知れた。ホワイトボードの前に立ったまま、背筋を伸ばし大きく深呼吸した。
  
皆に、やんわりと語り始めた。
「私は身体の都合で、学会を離れたいと思います。したがいまして、これから会長を山田先生にお願いしたいと思いますが」
「そんなにお体が悪いのですか」
 一人の会員が不安そうに聞いた。
「よく分かりません」
 先生は、明確なことは言わなかった。
「先生、まだ定かでないのであれば、いま辞めると言わなくて、我々は待っております。会長の事柄は、後にしましょう。先生の戻ってくるのを待っております」
  
大学教授の一人が発言すると、皆は同調し意見はまとまった。
  
例会が終わると、会員の一人である眼科医は、皆が帰った後も、先生と話をしていた。
「沖峰先生、なんの病気ですか。差し支えなければ教えてください」
  
先生の横の席に座った医師は、説得気味に話をした。
「……」
 先生は顔を正面に向けて、そんな問いかけに、全く答える気配がない。
「沖峰先生、私の持論は、八十歳も過ぎて、身体の検査をすれば、何かと不都合が出てくるのは、当たり前と思っています。異常が発見されると、不安が不安をかきたて、ストレスが寿命を早めるものと思います」
 医師は先生の内心を読み取ろうと、横顔をじっと見ているようであった。先生は黙っていた。
「出来ることなら、いっさい検査もせずにいることだと思います。私は何か異常があり、仮にそれが癌だとしても、体力の消耗を抑え、免疫力を持続して、癌と共生することにしようと考えています。先生、何かあっても手術は避けたほうがよいですよ」
「私は手術をしません」
 先生は腕を組み、前を見ていたが、始めて、ここで口を開いた。身体にメスを入れることは否定した。医師は、ほっとしたかのように上を向いた。


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こげ茶色の細い竹 -13/21 [北陸短信]

刀根 日佐志

 大きな体をぴんと伸ばして、ゆっくりと説明した。先生と親しい間柄である皆さんは、納得したように頷いていた。
  
月に一回、例会を開き、研究成果を発表することに決まった。終わり近くに、会長人事について先生が、皆さんに問いかけた。
「この学会の会長は、どなたにしたらよろしいですか」
「それは沖峰先生にお願いします」
 全員から同じ意見が出て、会長には先生が推挙され学会は発足した。
    毎月、一度は全国事業評価学会の例会が開催された。二年経った夏の暑い日、次郎は先生から電話を受けた。
「先日、医者に行ったら内臓に影があるといわれたので、現在入院中です。三日後の学会は予定通り出席します」
 あまりショックを受けた様子がなく、自分の病気を、他人事のように淡々と話した。いつもと変わらない感じがした。
「それは心配です。どこの病院ですか」
「病院は自宅の近くで、行きつけのところです。誰にも、話さないことにしようと思います。後の会長は、山田先生にお願いしようと思いますが、どんなものでしょうか」
「あの方なら申し分ないと思います。でもお大事になさってください」 いつもと変わらぬ口調だが、次の会長を決めておきたいと言うのは、症状が相当悪く、思い詰めているのかもしれない。

 
   
三日後、半袖のシャツから太い腕を出し、重い鞄と竹の指示棒を提げて、先生は学会の会場へ入ってきた。病院を抜け出してきたのであろうと思われるが、そんな気配は全くない。鞄を開きプロジェクターをセットし、皆が揃うと例会が開かれた。以前に、観光協会で講演した県内の観光事業評価の研究結果を、ホワイトボードに映しながら報告した。
「T県における観光の評価対象項目として、自然環境、観光客への安全対策、歴史文化、交通、顧客満足度などが考えられます。総合的評価点は、自然環境が最も高い」
   
身体の中では、異状が発生しているが、それを隠した表情には見えない。大きな身体をゆったりと動かし、説明する姿は、いつもと変わっていない。皆から質問や意見も出たが、評価理論の根幹に拘わるところは、いつも自説を曲げない。意固地なところは、今日も健在であった。だが、前を見据えた視線を下に向けたとき、何かしら寂しさを抑えているようであった。


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こげ茶色の細い竹 -12/21 [北陸短信]

刀根 日佐志



 数日後、T市内の喫茶店で、先生と会うことになった。狭い喫茶店の窓際席が、空いていたので二人はそこに座った。
   
小さな椅子に、大きな身体を窮屈そうに納めると、先生は三枚綴りの書類を次郎の前に差し出した。
「全国事業評価学会を、作ろうと思っていますが」
 次郎に語りかけてきた。
「学会はそんな簡単に作れるのですか」
「ええ、ただ大きな組織になるかどうかは別にして、だれでもつくれます。現在、会員数、四万人の日本機械学会でも、明治時代に数人でスタートしたのです。この学会も将来は、大きな組織になることを願っています」
「それは楽しみです。ぜひ作りましょう」
 入り口近くの席は、扉が開く度に、外の寒い風が足元を吹きぬけていく。恨めしそうに奥の席を見たが、空いた所がなかった。先生はそんなことは、気にする風もなく話を続けた。
「そこで社長さん。副会長になって下さい」
 資料の説明をよく聞くと、先生と親交のある大学教授十五人で、学会がスタートする趣意書になっていた。
「学者ばかりの中に、私が入っても場違いな感じがしますよ」
「この評価を、一番分かっているのは社長さんですよ」
 先生は次から次に物事を進めていく。企画力と指導力がある。評価について次郎は、完全に先生の熱意に引き摺られてここまできた。もしかして、先生は実業家になった方が成功したのではないかと、ふと、次郎は考えてみた。でも実業家は駆け引き、ときには、ハッタリや泥臭いことも平気でせねばならない。やはり学者でよかったのかも知れない。
  
いつもの淡々とした調子で、学会発足の説明が終わると、未来を見据えたかのように、嬉しそうに笑顔を見せた。先ほど、砂糖をスプーンで四杯も入れたコーヒーを、美味しそうに飲んだ。
   
五日後、全国事業評価学会の発会式が開かれた。先生から先に、説明を受けていた県内の大学の先生方が集まった。
  
始めに、先生から挨拶があった。
「あらかじめお送りしました書類を、お読みいただいたと思います。事業評価は人文科学、社会科学、自然科学など多岐にわたる分野で、数式を使い評価し点数で表示されます。これを全国に広め、多くの研究成果を上げて生きたい」


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こげ茶色の細い竹 -11/21 [北陸短信]

刀根 日佐志 
  
即座に、次郎は先生と教育長の表情を見た。先生はいつもの淡々とした顔つきで、会議室を何度も見渡していた。どの程度、皆が理解してくれたのか、気掛かりであったのだろう。教育長はじっと資料を見ると、テーブルに出されたコーヒーを飲み、満足したように前を見ていた。
  
市の担当者が新聞社に「市民の代表者により、事業評価を行います」と連絡したところ、新聞記者も取材に訪れていた。
  
その記事は、翌日の新聞に載った。
「新聞を見ました。評価理論を詳しく教えてほしいと、二十件くらいの問合わせがありました。今日、S市の建設課へ寄ってきました。その他の問合せ先に、随時、説明に行こうと思っています」
   
いつも、夕方八時頃に、先生からの電話があった。長い話になりそうだと思い、次郎は受話器を取った。訪問先の状況報告である。いつも、電子メールでよろしいですと、喉元まで言葉が出てくる。が先生の熱のこもった顔を思い浮かべると言えない。
「D社へ行くと、発電所の安全評価をしたいと、担当部長から話がでました」
 先生が三菱デボネアに乗って、ノートパソコンとプロジェクターを入れた鞄を肩に掛け、支持棒の細い竹を持って各社を回られている姿が、目に浮かぶようである。この後も、訪問を続けて、その都度、詳しく連絡を受けた。できたら後継者として、この評価の事業を次郎が引き継いでいって欲しい。今はボランティアで私が続けますが、のメッセージが込められているのであろう。
   
次郎は仕事に追われる毎日で、今度、客先に同行をしましょうと、迂闊に言うわけにもいかなかった。でも、先生はこの評価理論を、真に理解しているのは次郎である。私の話も良く聞いてくれ、心から信用できる人だと思っているようであった。何度も共に役所に出向き、先生の自宅にも、数回お伺いし打ち合わせをした。
  
仕事が終わると、いつもの喫茶店でコーヒーをすすり、毎晩のように電話連絡がある。その内に、何かしら互いの気心が通じ合い、人知れぬ太い絆ができていくのを次郎は感じていた。
今まで、先生の評価にまつわることがらは、忙しい仕事の合間に、損得ぬきで優先して取り組んできた。その結果、役所に採用され、他の市役所や民間会社からも、問合わせが来るようになった。机の中にしまってあった先生の評価理論が、世の中に飛び出していこうとしていた。
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こげ茶色の細い竹 -10/21 [北陸短信]

刀根 日佐志
   その説明を聞くのも、時間が取られてしまう。と次郎は呟くが、いったん受話器を取ると、愛想のよい声で応対をした。
「評価の項目は、蔵書量、図書購入予算、外国人への配慮などいくつも思いつきます。私の考えで、評価点を入れると高得点が出ました」
  
先生の話を、仕事の書類を見ながら聞く。ときどき、質問をしないと変に思われるので、トンチンカンな質問にならないように注意をする。それに対して事細かに説明がある。聞かなければ、良かったと思う。さらに、長い電話になってしまった。今日も会社の書類整理が、深夜までかかりそうだと思い、受話器を置いた。 
   
K市では、十数人の外部委員により、図書館評価の会議が開かれた。次郎が司会をした。
   
最初に教育長の挨拶があった。教育界一筋のこの方は、どこから眺めても謹厳実直そのものである。巧言やハッタリは微塵もない。
「行政の事業が、市民の代表者により評価が行われるのは、恐らく全国で初めてのことと思われます。他に例を聞いたことがありません。また手法を決めることまで、行政ではなく、委員の方で進められたことは、稀であります。沖峰先生にご指導頂きましたが、この場を借りましてお礼申し上げます」
  
来賓席に座っていた先生は、丸い顔をますます丸くした。そして、口をすぼめるような仕草をすると、軽く頭を下げた。
  
担当者が毎日、仕事を自宅に持ち帰り、書類を作成したのであろう。分厚い資料を皆の前に配ると、説明がなされた。
「図書館の評価は、三分野に分けて採点をして頂きたいがです。図書館運営、管理、整備です。運営については、図書貸し出し、住民学習支援、利用拡大、広報、高齢者配慮などを見て採点してください」
 委員の方を見ながら、遠慮がちな、とつとつとした話し方であった。
 
顔色をうかがうように、教育長の方に視線を向けていたが、しっかりした解説であり、終始順調に進められた。各委員の採点結果は、先生が直ぐノートパソコンに入力し、プリントされた。
  
担当者はすばやく資料を配った。
「いま配布したのは、採点していただいたものを数式に入れ、評価結果を出したものながです」
  
渡された評価結果の図表を見て、一瞬ざわめきが起きた。だが、すぐ皆がその資料に見入っていた。担当者が重点を押さえた説明をしたので、思ったほど質問が出なかった。
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こげ茶色の細い竹 -9/21 [北陸短信]

刀根 日佐志

 社員とくつろぐとき、次郎は仕事のことを、話題にはしないことにしていた。だが、彼等から話が出てきた。
「この不景気を乗り切るには、何をしたら良いがかね」
 若い社員が、誰に聞くともなく話をした。
「先ず、売上げを落とさないことやちゃ。それにはメーカーと、緊密に連携し、新製品を探し、新しい用途を客先に提案することやちゃ」
 ケーキを頬張りながら、彼の先輩が目を輝かせて説得口調で話した。
  
次郎は聞き役に回り、満足げに頷いた。皆が帰ると自分の席に着いた。
「雑用が湧き出てくるようだ」
辟易した表情で呟いたが、即断即決しないと整理が追いつかない。そして、急いで明日の仕事の段取りをする。少し残した書類を、自宅に持ち帰り作成することにした。
 
今までを思い返すと、中小企業を経営し、世の中の変化と、好不況の波に追従するのに夢中であった。家のことはほったらかしてきた。社員に給料を払うのに、一生懸命であった。いつか妻とはゆっくり旅行でもしたい。それは、考えるだけで実現しそうにもない。
  
二人の子供は東京の大学を卒業すると、都内で自分の希望する会社に勤め、所帯も持った。郷里へ戻り、親爺の商売をつぐ気配は全くない。次郎は妻と二人暮らしだ。仕事、仕事で毎日帰宅が遅い。
  
一方、妻は趣味の手芸や、テニスに熱中している。夜になるとテレビにかじりつき、韓国ドラマに夢中になっている。その内、韓流スターの追っかけでも、始めるのではないかと思うくらいである。韓国ドラマは、男が女に投げかける求愛の言葉が、巧みでストレートであるらしい。妻は愛に飢えているのであろうか。
   
ドラマを見ている最中に、電話が鳴りご機嫌を損ねたように、妻が受話器をとったようだ。
「あなた、先生から電話ですよ。また長くなりそうね」
  
皮肉混じりにそっと呟きながら、受話器を次郎の部屋へ持ってきた。

「K市、図書館評価の考え方がまとまったので、メールをします。ご覧になって下さい。電話が長くなりますが、概略の説明をします」
  
先生のいつもの落着いた声が、聞こえてきた。
  
電子メールを送ったのであれば、説明はいらないと思うが、熱意に押されて断わることができない。先生は評価のことだけを、考えていればよいので、作業が手際よく進んでいく。逐一、それを報告してくる。実に仕事に熱心であるが、その一方で、先生は話し相手を欲しがっているのだとも、感じられた。


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こげ茶色の細い竹 -8/21 [北陸短信]

刀根 日佐志 

 一口、味わうように飲むと、溜息をつき、すぐさまケーキをフォークで切ると頬張った。もう直に、八十歳というのに心は若い。甘党であり、また食欲も旺盛である。先日、教育長と打合せの後、昼食に天丼が出たが、ご飯が多めに詰め込まれていたみたいだ。次郎は半分くらい食べ残したが、先生は平気で平らげていた。紅茶をすすりながら、今朝の新聞に載っていた政治や、トヨタ自動車の強いわけ、中国に行ったときの話をした。そして、苦学をして学校へ通ったことも述べた。

「私は、いろいろのアルバイトをして、お金を貯めて、食費も切り詰めて、大学を四年間やっとの思いで卒業しました。煙突掃除、焼芋屋、新聞配達、家庭教師、もう何でもやりました。でも寸暇を惜しみ勉強もしました。それから専門学校、大学の先生をしてきました。

今の学生は、遊ぶ金が欲しくて、アルバイトをしています。そんな時間があれば、勉強をしなさいと言うのですが、時代は変わりました」
その間に西空では、陽光を浴びた雲が金色に輝いていた。しばらくすると雲は鼠色に変わり、辺りは暗くなり始めてきた。秋の日は沈むのが早い。うす暗くなると、喫茶室に展示されていた絵画から、人物が浮き出てきて、今にも飛び出してくるように見えた。

「今まで、私はこの評価方法を、多くの人に知ってもらいたいと、考えておりました。社長さんのおかげで、役所が採用してくれました。公的機関が採用してくれれば箔がつきます。新聞記事にでもなれば、いろいろ問い合わせがくるでしょう。話は変わりますが、評価理論はさておき、社長さんの取引先で、工場の自動化をしたい所がありましたら、私の専門ですからお手伝いしますよ」
 この言葉を聞いたところで、次郎が腰を上げると、先生はなごり惜しそうに席を立った。

  
いつも家を出るときに、庭から切り取ってくるという細い竹の指示棒を、「何かに使ってください。私は机の近くに置いて、遠くの物を手繰り寄せるのに、使ったりしております」微笑みながら、次郎に手渡してくれる。次郎も言われるがまま、こげ茶色の細い竹を、さようならの挨拶代わりのように黙って受け取った。


  会社へ戻る途中、仕事が溜まっているだろうと、焦りを感じ次郎は、車の速度を上げた。事務所では数人の社員が、まだ仕事をしていた。中央テーブルに、買って帰ったケーキを並べ、皆とお茶を飲みながら食べることにした。
「遅くまでご苦労だな。お茶でも飲もう」


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こげ茶色の細い竹 -7/21 [北陸短信]

                                                                         刀根 日佐志


  
市長室へ行くと、次郎と面識のある市長は、やや大げさな動作で手招きすると、次郎と先生の来訪を歓迎してくれた。
「ようこそ、いらっしゃいました」
 大きな動きは体を大きく見せ、大きな声は部屋の隅々まで響いた。表情は微笑んでいたが、眼鏡の奥からは、鋭い眼光がのぞいているように思われた。
「市の図書館で、私の評価方法を採用して頂きましたので、ご挨拶にお伺いしました」
   
先生はソファーに身を沈めると、ノートパソコンを開いた。忙しい方に詳しい話をしても、どうせ聞いてもらえないのにと次郎は思った。パソコンの画面を市長に向けると、評価した事例のグラフを見せ説明し始めた。
「このように評価結果が、グラフでご覧になれます。よく見れば問題点が分かり、改善活動が容易にできます」
   
市長は最初から、俺には聞いている時間なんぞない。と言わんばかりに先生の話を遮ると、よいものであれば、課長に直ぐ検討させますと、電話で担当課長を呼びつけた。担当課長と係長が、畏まった表情でメモ用紙を持って急いで入ってきた。
   
市長は、部下には人が変わったように、急に言葉がぞんざいになった。
「お前達は、いつも勉強不足やちゃ。こんなよいものがある。良く聞いて研究し、また幹部を集めて研修会を検討せられんか」
 その後、市長の勧めで、市役所の生涯学習課でもこの評価方法の採用が決まった。また他の課でも採用の検討が始まった。
「まだ、時間よろしいですかね。市役所向かいの喫茶店に行きませんか」
   
用事が終わり、帰るときに先生は、きまってお茶を飲んでいこうと言う。
  
喫茶室には、二十点位、地元画家の絵が展示されていた。その絵を眺める先生の横顔を、窓から差し込んだ光が柔らかく照らし、切り揃えた口髭が白く輝いていた。次郎は、お茶の水博士に似ていると、先生の顔を正面からまじまじと眺めた。思わず笑いがこみ上げてきそうになった。
  
それから、二人で絵の批評をしたが、自宅に飾りたい絵がないという意見で、話が盛りあがった。
  
紅茶とケーキをテーブルに並べながら、店員が言う。
「窓のブラインドを、下ろさんでもいいですか」
「秋の陽は気持ちがよい。このままにしておいてください」
   
先生は、屈託無い微笑みを見せて答えた。そして、紅茶に三本目のスティックシュガーを入れると、スプーンでゆっくりとかき回した。スプーンがカップに擦れて、カタカタと音がしていた。
「私は甘い方が好きでしてね」


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こげ茶色の細い竹 -6/21 [北陸短信]

                                                                        刀根 日佐志



   市役所と何度も打ち合わせした結果、先生の評価方法の採用が決まった。次郎は先生とK市役所に行き、図書館担当者に評価理論を講義することになった。今では、もうどこへ行っても見かけない、大型車体の三菱デボネアに乗って来た。ノートパソコンとプロジェクターを入れた大きな鞄を、車の後部座席から降ろした。それを肩に掛け、右手で支持棒の細い竹を持って、駐車場から歩いてきた。
「先生、珍しい車ですね。三菱グループ企業の多い東京丸の内で、以前には良く見かけましたが」
 高齢のわりに、このような旧式の大型車を、よく運転しているという思いと、もっと小型の車に乗ればよいという気持ちで、次郎は嫌味に聞こえないように話した。
「県内では、この車に乗っている人は、いないでしょう。大きいですが、運転しやすいですよ。私はこの車が好きでね」
 意外にも、この自動車に、愛着を持つ答えが返ってきた。
「今日は、数学的なことは省いて、評価式の活用に重点を置いた説明をします」
 それからも数回、担当者にプロジェクターを使い、ホワイトボードに映した図表を、指示棒で指し講義をした。先生が話をすると、周りの空気が、緊張から解き放たれた和やかな雰囲気が漂う。どんな質問にも、丁寧すぎるくらいの答えが返ってくる。
   
予定時間が過ぎても話が続くので、市役所の担当者は気まずそうな顔をして「先生、次の仕事がありますさかい、ここで終わってほしいがです」と講義を終わってもらった。
  
余り嫌な顔もしないで、先生はあっさり引き下がった。長い間、教鞭を執っていたので、どれだけ話しても疲れないのであろう。どこかで話を遮らないと、しゃべり始めた勢いはどこまでも続いていく。
「社長さん。すこし時間がありますので、市長さんがいらっしゃれば、ご挨拶に行きませんか。助役さんでもよろしいですが」
   
先生のこの評価に掛ける熱意は旺盛で、時間に余裕があれば、市長や他の部課へも挨拶に行きPRしようと次郎に催促する。
   
表情に出さないが、意欲的で心に沸き立つ情熱がある。どこから眺めても年齢を感じさせない。次郎は自分も、何事にも意欲を燃やすほうであると思っていたが、共通するところがある。
  
久しく、このような人と、出会ったことがない。何とか力になりたいと思った。


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こげ茶色の細い竹 -5/21 [北陸短信]

                                                                           刀根 日佐志 
  

  
次郎は、講演を聞いただけでは、全く理解ができなかった。また、資料を貰うと何らかの係わりができてしまい、身が引けなくなるなどと、考えていたら曖昧な返事になった。


    次郎は東京で、大手の化学会社に勤務していた。十七年前に、四十歳で脱サラして、地元富山で商売を始めた。最初は二人で始めたが、今では、社員三十人の会社になった。地元にいると、PTA活動や自治会活動に誘いがかかる。その内に、K市役所の教育委員会など、いくつかの委員会から委員を委嘱されていた。
 K市の図書館協議会では、委員長を務めていた。
 
その協議会で委員の一人から発言があった。
「市の図書館が、本当に有効利用され支持されているか、住民に評価をしてもらうとよい」
 紺のスーツを着こなした教育長は、黙って話を聞いて、しばらく考えていた風であったが、その意見に同調した。
「もうそろそろ、住民に評価をしてもらう時期に来ていますね」
「私の以前に勤めていた会社で、人事評価制度がありました。その方法を応用すると図書館の分野に、使えるかもしれません。一度、検討してみます」
 次郎は会社員時代のことを思い出し、その手法が使えるのではないかと考えた。
「夏山委員長、何かよい方法があったら、教えてください」
 教育長から依頼を受けたので、自宅へ戻ると書類を調べてみたが見つからない。余計なことをしゃべってしまったと思いつつ、夕方のテレビに映るニュースを、漫然と見ていたらロボットの映像が映されていた。そのとき、ふと何にでも応用できるという、評価方法のことを思い出した。

  
沖峰先生の名刺を探すと、図書館の評価について電話で聞いてみた。すると、歯切れのよい答えが返ってきた。
「夏山社長さん。私の評価式を使えば、行政の事業はどの分野も可能です。図書館評価は、図書貸出し状況、住民学習支援、施設の充実度などの項目に分けて、点数や図表で結果表示ができます。誰が見ても、分かりやすいですよ。もう、喜寿を迎えております。欲はありません。ボランテアでご協力しますよ」
  
評価方法を普及させたいと考えていたらしく、学者然と偉ぶらない、やる気満々の弾んだ声が聞こえてきた。


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こげ茶色の細い竹 -4/21 [北陸短信]

                                                                          刀根 日佐志


「先生のご専門はなんですか」
「私は国立T大学を定年退官後、私立R大学で、自分の専門である自動制御を教えていました。その延長で、ロボット研究をしていたのです。そのロボットが長い時間、故障せずに、動くかどうかの信頼性評価をするために、評価理論を考えました。今日、講演した理論は、プロ野球や会社経営だけでなく、行政の事業など様々なものの評価ができます。ロボット研究の副産物です。夏山さんは理系の出身ですか。それでは詳しい資料を、後日お送りしますのでお読み下さい」
「もう大学を卒業して、三十五年も経ちますと、何もかも忘れています
でも、ご講演の内容は興味を持ってお聞きしました」


 難しい数学式などは、久しく縁がなかったが、次郎は理論そのものには興味があった。特に、各評価が数値で具体的に出てくるので、もっと詳しく聞いてみたい気持ちがあった。だが、この忙しい時期、別のことに首を突っ込みたくなかった。先生は手を伸ばして、テーブルからジュースの入ったコップを掴むと、口に運んだ。そして、話を続けた。
「私が考えた評価方法は、何の評価にでも応用できます。学校のことであれば、教育理念、学校運営、教育研修、部活動状況などの項目を決めて、代表者数人で採点します。その採点を数式に入れれば、総合評価が点数とグラフで出てきます。したがって、今後の改善点が分かります」

 先生は一言ずつ噛み砕くような口調で、決して、自分の話を押し付けるような感じはない。
「私の評価式で計算すると、仮に、アテネオリンピックで、三十歳台の高橋尚子がマラソンで走っていたとします。でも、勝てなかったという結果が出ました。個人競技は、個人の運動能力差が勝敗に影響します。判断力、経験歴では三十代、耐久力では二十代が強い。したがって、耐久力の必要なマラソンは、二十才台の選手が有利と出ました」
 急に女子マラソンに話題を変え、こと細かに、その評価結果を述べる顔は、輝きが増していた。話好きなのか、その場所に根を生やしたように、じっと動かずに淡々としゃべり続けた。
「評価を導き出す数式は、独自に誘導したものです。講演でも話しましたが、この式は誰でも分かる簡単なものです。夏山さんも、ご理解いただけると思います。資料をお送りしますので、お読み下さい。」
「え……、まあ……、そうですか」


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こげ茶色の細い竹 -3/21 [北陸短信]

                               刀根 日佐志



司会者は次に控えた懇親パーティーの時間遅れが、気になるらしく、未練を残すその姿をまるで気にかける余裕すらない。手に持ったスケジュール表と、腕時計を、何度も交互に見ながらやきもきしているのが良く分かった。

 二月に、総会を兼ねて行われていたこの会も、講演会が終わると、隣の懇親会場で会長挨拶の後、立食パーティーが始まった。
 
   
パーティー広間は、細い鉄パイプがむき出しになった高い天井の多方面から、カクテル光線が降り注いでいた。ちょうど、大海原で船の甲板から暗い夜空を眺めていたら、小粒だが無数の星が、思い思いの輝きで瞬いていた光景を連想させる。
  
見上げると、明かりはきらきらと眩しい。人々の様子は、退屈な講演会のときとは打って変わっていた。とても平穏で、心の中まで和んでいる表情である。皆は親しく語り合い、好きなものを頬張り、この時間を楽しんでいるようである。

  
中央には、数種類のオードブルが並べてあった。昨夜、遅い夕食で次郎は胃が重く、麺類コーナーへ行き、お碗を受け取ると蕎麦をすすった。横の刺身や寿司が並べてある所は、多くの人が集まっていた。北陸人は魚と切り離せない拘りがあるのだと、次郎は横目で眺めていた。
  
広間の両脇に十数か所の丸テーブルがあり、それを、数人ずつが取り囲んで話し合っていた。最前列テーブルには、主賓が集まっていた。先生もそこにいた。横の者との懇談が終わる頃を見計らい、次郎は先生のところに歩み寄った。挨拶をすると、予め用意していた名刺を差し出した。先生も膨らんだ名刺入れから、一枚の名刺をもどかしげに取り出し、次郎の顔を一瞥すると会釈をして手渡した。


   先生は次郎の名刺に目をやると、講演会で聞いたと同じ穏やかな声で先に言葉を掛けてきた。
「日本海商事という会社は、何の商売をされているのですか」
「K市で社員三十人の樹脂原料の販売会社をしております。小さな会社ですが、顧客サービスに力をいれた商売をしております」
 次郎が、先生の名刺を見ると、R大学名誉教授、事業評価研究所所長、沖峰義郎と書いてあった。


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こげ茶色の細い竹 -2/21 [北陸短信]

                             刀根 日佐志


その日、次郎は中小企業経営者の集まりがあるホテル会場へ急いだ。そこでは、総会に先立って講演会が開かれていた。「今年のプロ野球チームは、どこが強いか(会社経営にも使える手法)」の興味をひく演題を、R大学名誉教授は、学生に講義をするように力むこともなく、大柄な身体の腹を突き出すようにして、いくぶん説得口調で淡々と話をした。
 
「色々なものを評価するのに、システム評価工学の数式を使います。プロ野球であれば、各チームの監督、投手力、守備力、得点力の項目について評価します。その点数を数式に入れると、どのチームが総合力に優れているかが、表示されます。
項目を経営者、社員の能力、技術力、取引先に変えると、会社の総合評価が出ます」
プロジェクターで演壇の後方スクリーンに、評価に使う数式と、その意義、各チームの順位や様々なグラフを映して説明した。長年の研究で試行錯誤の結果、考え出したという数式を熱っぽく強調していた。だが、初めて聞く者には、その数学式が、どのような意味を持つものか分からない。その得体の知れない式に数字を入れて、プロ野球のどのチームが強いと判断されても、理解出来なかった。
(数字を省き、普通の人が興味を示すように、例えば、プロ野球チームの巨人軍は、攻撃力に勝るが、ベテランが多くスピードに欠けると評価された。三、四番打者以外を若手にするとよい等と、具体的に説明すれば分かりやすい)と次郎はいらいらして聞いていた。だが、丸顔で白髪、切り揃えた白い口髭を蓄えた上顎と、お盆のように円弧を描いた先生の下顎が、小刻みに上下し一方的に話が続けられた。
 
参加者は(俺達は数学の話を聞きに来たのではないがや。どうしたら、会社が儲かるかを教えて欲しいが)と言わんばかりに、無表情で辺りを見回し時間が過ぎるのを、ひたすら待っているように見えた。
規定の一時間半を三十分超過し、しゃべり続けても物足りないらしく、演台の水をごくりと飲むと、先生は壇を不満そうに下りた。鉄腕アトム物語に、登場するお茶の水博士とそっくりな顔、大きな体の機敏な動きからは、あたかも、若者には負けてはいられないというメッセージが、発せられているように思われた。
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こげ茶色の細い竹 -1/21 [北陸短信]

                                                                            刀根 日佐志 


すぐさまゴミ箱へ捨てられることを承知で、多くの書類が送られてくる。商品カタログ、パンフレットなどが束になり、紙の爆弾が飛んでくるように、毎朝、机上に積まれている。整理を怠り、翌日、翌々日にその量を見ると、嫌悪感を抱くようになる。もっと増えると、たじろぎを覚え、もう整理を断念する気持ちになる。
  
でも、懲りもせず送ってくる。いっそのこと、毎日、全部捨ててしまえば、どんなに気分が楽かと思う。中に有用な情報や重要書類も、交じっているので、そんなことが出来ない。
  
夏山次郎は出社して、社長席に向かうと、すぐさま、その整理に取りかかった。一気に済ませておかないと、机に視線がいく度に不快な思いをする。
  
その片付け作業を終えると、一日爽快な気持ちが保てる。それから、両手を組むと手の平を上に向け、腕を伸ばす運動をした。そのとき、若い社員が社長室に入ってきた。
「以前から、売り込み中の樹脂原料が、電機会社に採用されました」

この時期、新しい顧客に製品の売込みが成功したと、長身を折り曲げ、照れながら報告に来た。
「それは大成功だ。君、手柄話だから堂々としゃべればよい」
    次郎は立ち上がり、部下の前まで歩み寄った。その笑みを浮かべた表情を見詰めると、褒めるように、昨年入社した社員の肩をそっと叩いた。
   
話しを終え、気のせいか、背筋を伸ばし気味に立ち去る後ろ姿に
「これで、仕事に自信を持ってくれるだろう」とエール送った。
   
不況が続く中、売込みが成功したというのは、何よりも有り難いことであった。営業マンはなかなか育たない。天性のものもあるが、客に好かれる性格が第一である。誠意があり、何を言われても笑い飛ばすことができる性格がよい。彼はどちらでもないが、創意工夫にたけている。立派な社員に、成長するだろうと期待していた若者だ。


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夢を追う男たち -18/18 [北陸短信]

                                                                         .by 刀根 日佐志

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戦時下でないニューヨークに神風特攻隊は現存しないが、その現代版はゼロ戦からジャンボジェット機に置き換わり、テロとして確かに存在していたのである。

映画でも、小説でもない超高層ビルの崩壊という現実の世界がそこにあり、全世界を震撼させた。窓下に数片の小さな雲を見ていたときは、ファンタジックな空想が広がったが、後の惨状を想像することは出来なかった。

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世界貿易センタービルを出て少し歩くとウォール街があり、多くの人が歩いていた曇天の日である。肌に触れる風は冷え、荘一は長年愛用の着古した防寒コートの襟を立てた。近くの小さい広場では、数本の大きな木が、葉を全て落とし尖った枝先を、空に向け寂しそうにしていた。この広場を囲むように立ち並んだ灰色の重厚なビルは、窓を閉ざし沈黙している。だが歴史の重みが伝わり、腹の底まで響いてきた。

この街は世界経済を動かしている、また世界を牛耳る金融界の王者が幾人も生まれていったのだ。

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荘一は四枚目の写真に、もう一度視線を注いだ。

世界経済の中枢を担っているウォール街はなぜか静まり返ったものに見えた。それは閑散としたどこかの裏通りのようだ。耳の底にシーンとした音が入り込んでくる。静寂を誇示する音色に違いない。すると荘一は自分が、このたたずまいの中に就縛され消えていく気配を感じた。

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木枯らしが吹きつけ雪が舞い、辺りを真っ白にした建物を、雪で埋め尽くしていくのが見えた。そこには、相当着こなし萎れた防寒コートを着た男以外に、誰もいなかった。その男が雪を踏みつけ歩いて行く。不思議なことに新雪にめり込むことなく、わずかな靴跡だけを残している。後ろ姿は小さくなり一瞬、振り向いた。禿げ上がった広い額に長い顔が印象的に感じた。軽薄で小心者に見えるその男が、何かを呟いている。

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「俺は高岡銅器が動かない飾り物では詰まらない。メリー・ゴー・ラウンドのように動かして見せよう。でもそんなものは売れなかった」

「ケーキ屋で箱を包装紙に包み、紐で結ぶのが待ちきれずに、包装紙に紐を装着した物を考えてみたが売れなかった」

「ゴルフで、ダフリとシャンクの出ない、パターのように打つアイアンクラブを作ってみた。よく入る片手で打つ小槌のようなパターも作ってみた。いずれも失敗に終わった……」

「俺にはヒットという文字はない……」

 何かブツブツ言いながら歩いていく。反省なのか、ぼやきなのか判然としないが、なおも言い続けていた。

「………」

「……」

「…」

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その男は一途に、新雪を踏み歩み続け、遠のいて行く。なぜか降る雪は、その足跡のみを避けているかのように弱弱しい窪みを残していく。やがて、貧相な後ろ姿は小さく粒のようになると消えていった。

                                (了)


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夢を追う男たち -17/18 [北陸短信]

                   .by 刀根 日佐志

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その高層ビルの窓外を見た。近くに数片の小さな雲が浮かび、風に吹かれて動いていく。見下ろすと、他の建物はマッチ箱のように見えた。道行く人は蟻のようだ。地表の出来事を眼下に眺めることの出来る異様な世界がそこに存在した。このフロアーに立つと、誰もが最初にする質問だろうと思いながら、荘一は聞いた。

「ここは地上何メートル位になるのですか」

「八四階ですから、おおよそ三〇〇メートルです」

お客さんが来ると、このような質問が多いと見えて支店長は、にこやかな表情をすると説得力のある口調で、すぐに答えが返ってきた。取引先のお客さんで、日本から訪ねてくる方も少なくないのであろう。

「エレベーターがないと大変ですね」

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 三〇〇メートルの別世界は、荘一の感覚では異次元で空恐ろしい空間に思えた。この超高層ビルで仕事をしている人の一種の宿命や定めに、同情の気持を持った。この感情は「エレベーター」「大変ですね」という言葉のような質問になってしまった。

「先日、出勤時に停電になり階段を登りました。ここに着いたのが十一時半でした」

ダンデイな男振りの支店長は微笑んで見せた。

荘一は窓を覗いた時、最初に感じた高さの恐怖感は、一時間もすると薄れて行き違和感に変わってきた。でも、この高所で何かがあった時は、どうするのであろうかと言う怖さは残っていた。

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「ほら、見て下さい。セスナ機が飛んでいます」

支店長は指差した。外を見ると眼下にセスナ機が飛んでいる。

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それから数年後、窓一杯に馬鹿でかい、銀色で丸みのある筒先の様なものが見え、そこには人もいた。室内が窓に映っている光景か、何かの幻想かと思ったが、そうではない。ジャンボジェット機の操縦席である。

その窓めがけて飛び込んで来た。これ等は、瞬時の出来事であり、思考を巡らす暇はない。


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夢を追う男たち -16/18 [北陸短信]

.                                                                       by 刀根 日佐志

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                               (四)

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荘一は四枚目の写真を手に取った。

真昼も薄暗い高層ビルの谷間には、人通りが途切れることはない。前面を太い数本の柱で支えた石造りの建物で、その上段に歩いている者、伏せている者、何かを説いている者の男女、子供達の彫像が飾りとなり埋め込まれていた。何を意味しているのか判然としないが、この街、発祥の歴史を意味しているのではなかろうか。有名な建物かもしれない。いやニューヨーク証券取引所ではないだろうか。ここはウォール街だ。

.

窓に取り付けたアメリカの国旗がはためいて、前の道路には樅の木が植えられていた。その木に豆電球が、無数に点けられていたので、クリスマスの時候であろうと思われる。街行く人は、厚いコートを着用し忙しそうに歩いている。

そこに茶色の防寒コートのポケットに手を入れて、佇んでいる六十歳位の男がやや斜めを向いていた。相当着こなしたと思われるコートは、厚みを失い萎れ、汚れている。その身なりは、曇り空の薄暗い雰囲気を吸い込み、彼を貧相に見せた。その分、大きな長い顔は、くっきりと浮き出て、大袈裟に見える。

禿げ上がった頭髪まで傾斜している額、太い睫毛と眉間の大きな二本の皺、物を凝視する鋭い目が際立っている。横顔は、短絡的で小心者だが強情で、軽薄で野心家に見えた。

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荘一もニューヨークに行き、マンハッタンで用を済ませ、それから歩いてウォール街に立ち寄ったことがある。

マンハッタンで訪ねたのは世界貿易センタービルである。八四階まで行き北空銀行の支店長に会った。


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夢を追う男たち -15/18 [北陸短信]

.                               by 刀根 日佐志

.

「現在、韓国向けの燃料節減装置を十台、製作中です」

 得意げな表情で話をした。

「売れているのですね」

「韓国政府の省エネ機械の認証をもらいました」

 と語る長柳の口元は、ほころんで少し訳ありげな顔で話を続けた。

「韓国の政治家にたくさんお金を使いました」

 胸元で右手の親指と人差し指で丸い輪を作り告白するような口調で話した。

「日本国内ではどうなのですか」

「国内は試験的に取付けたのが二台動いています。海外が先行したのです」

「樽本さん、是非、国内の販売を手伝って下さい」

彼は真剣な顔で荘一に頭を下げた。

.

 帰り際に、事務所を出て、作業場を見ると奥の方で、革ジャンらしい厳つい顔の男が、熔接の火花を散らしていた。

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会社に戻り、幾つもの文献を調査した荘一は、この装置は省エネ対策になると結論を出した。取引先の会社に長柳の開発した装置を試験的に販売することにした。

一台の装置を売込中であるという報告をすると、唐突に、しかも連絡もなしに、装置が一台トラック便で送られてきた。続いて納品書と請求書も送付されてきた。

幸いにも売り先が決まりボイラに、この装置を取り付けることになった

その時は、消防署に装置、配管図の届出が義務付けられている。長柳に図面の送付を依頼した。

「図面は送れん、図面を要求するような所へはこの装置を売るな!」

電話口で彼の怒鳴る声がした。

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荘一は粘り強く話をしたが、彼には通用しないので、もう諦めた。消防署へ図面の届出を無視することは、法令違反である。潜りでその装置の取り付けをするわけにはいかない。

もう既にそんな時代ではないことを彼は理解していない。D航空出発ゲート待合室で、革ジャンの男と一緒に立ち上がった義侠心は一体何であったのか、荘一は(こんな、分らず屋を相手にすると、疲れるなあ)と嘆いた。それにしても長柳を信用し過ぎたことを荘一は反省した。

長い間の付き合いの中では、この様な「分らず屋」に出会うことが、まれにある。苦労を掛けたが、会社の設計担当には消防署への提出図面を、工夫して描いてもらうことにした。

新たな問題が生じた。現場で装置の取り付工事には装置の寸法図が、必要となるので要求すると「そんなものはない! 送れない」彼の常識の通じない身勝手な性格に翻弄させられた経験を思い出した。


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夢を追う男たち -14/18 [北陸短信]

.                              by 刀根 日佐志

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韓国から富山へ戻ると、荘一は〈燃料節減装置〉を見に長野県へ、長柳竜太郎を訪ねることにした。

 途中、道が分からず、通りすがりの若者に長柳鉄工所を尋ねた。

「あの発明爺さんの会社ですね。直ぐ近くですよ」

近所では有名らしくその若者は丁寧に道順を教えてくれた。

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工場の重い鉄製扉を開けると百坪くらいの作業場が見えた。鉄板やパイプが散乱するなかで十人位の作業員が働いていた。その片隅に間仕切りで囲った十坪くらいの事務所があった。そこで社長の長柳に会うと、相好を崩し荘一によく長野まで来てくれましたと、握手を求めてきた。それから熱っぽく語り始めた。

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昔から雨の日は、自動車エンジンの調子が良いと言われている。これに着目した彼は、ボイラ燃料の重油に水を混ぜて燃やすと、何故か完全燃焼して、燃料が節約できるという研究に昼夜没頭した。諺にもあるが「水と油は混ざらない」を如何に混ぜるかに、技術の核心があったと彼は強調した。

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彼の顔を興味深く凝視した。荘一は、とうとうと語る顔と話し振りから、彼の性格が読み取れたような気がした。

顔の輪郭は、頬の辺りで膨らみ飛び出ているため、細長い顔を幾分丸く見せている。鼻から口に至る極端に深い溝は、口を長く見せている。加えて目も大きいので、顔全体を大きく誇張しているようだ。

特に、鼻から口に至る極端に深い溝と、眉間と額に二本ずつある縦横の太く深い皺は、顔の印象を野心家にみせている。大胆で、気性が強く、独善的で、決めたことは一方的に実行する。したがって、引き下がることをしない。彼は柔軟な思考に欠ける経営者であると荘一は考えた。


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夢を追う男たち -13/18 [北陸短信]

                                    .by 刀根 日佐志

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 長柳と革ジャンの剣幕に驚いたD航空職員は「しばらくお待ちください」と慌てて事務所に入って行った。

協議を済ませ戻ってくると、「ご用意したホテルまでバスでご案内致しますので、今晩はホテルにお泊まり下さい。明朝十時の臨時便にご搭乗して頂きます」

顔の汗を拭きながら、心持ち上ずった声でその職員はアナウンスをした。彼も革ジャンも、アナウンスをじっと聞き入っていたが、先程からの怒りを収めた。互いに顔を見合わせて「これ位で良しとしよう」というような表情をしていた。

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乗客が疲れ果て、彼と革ジャンが激怒し、それに賛同する拍手が起こったのには理由があった。午前十時発、韓国、金浦空港行きが、濃霧による着陸不能の理由で一時間毎に、天候の調査中ですから「皆さん、もうしばらくお待ち下さい」とアナウンスがなされた。 

同じ韓国行きでも、J航空午前十時三十分発は三十分後に、悪天候を理由に本日のフライト中止を告げていた。

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正午過ぎ、荘一は受付のD航空職員に、「J航空はフライトを早くに取りやめた」がD航空はなぜ中止しないのかを聞いた。

「わが社のパイロットは世界一のフライト技術を持っています」

力を入れて述べると、その職員は、荘一の顔をじっと見てまだ何か言いたげであった。

荘一は「世界一のフライト技術」を持つことと「フライトを中止しない」こととは何故結び付くのであろうかと疑問に思ったが黙っていた。

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D航空では、フライト延期のアナウンスを出すこと六度、午後六時に搭乗出来ますとのアナウンスがあり、乗客は出発ゲート待合室で待っていた。八時間も待たせ、今日のフライトは中止です。これでは皆が怒り出すのはあたりまえだ。


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夢を追う男たち -12/18 [北陸短信]

                                      .by 刀根 日佐志

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 荘一は以前に火傷を負った人のケロイドを見たことがある。元の皮膚が跡形もなく引きつった痛々しいものであった。彼の傷跡はしま模様で元の皮膚が残っているように見えた。後に、最近の外科治療は、体から皮膚の一部を採りプレスで何倍かに引き伸ばして、火傷部分に植皮するのだと聞いた。

「装置を商品化したのは素晴らしいですね、燃料節減とはどんな原理ですか」

荘一は根堀り葉堀り聞き出した。

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 その原理も含め彼の開発した装置が、優秀な働きをするものであること、またその開発は苦難の道のりであったことを、彼は自画自賛を交えて強調した。

その時、あたふたと入室してきたD航空の職員が、カウンターのマイクでアナウンスを始めた。室内は静かになり皆が耳を傾けた。

「誠に申しわけ御座いません。韓国、金浦空港の濃霧による視界不良が回復しませんので、本日のフライトが中止になりました。明朝十時の臨時便にご搭乗下さい。本日はこれでお帰りください」

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 皆から一斉に不満の大声が発せられると、それがざわめきに変わり待合室に満ち溢れた。しばらくすると、ざわめきは消えていった。

その時突然、長柳と革ジャンが立ち上がり、カウンターまで走り寄った。すると革ジャンは荒々しくマイクを握りしめた。

「我々を朝十時から八時間も待たせておいて、これで帰れとは何事だ、責任をとれ!」

革ジャンは室内に響き渡る甲高い声で叫んだ。

勿論、室内にいた皆の視線は二人に集中した。

「そうだ、その通りだ」我々の気持を代弁してくれたのだ。皆はそう思ったに違いない。荘一も胸につかえていたしこりが、消えていくのを感じた。

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 もう一度革ジャンは荒らしく声を張り上げた。

「我々は大事な時間を費やして待っていたのだ。何とかしろ!」

すると革ジャンは、机上にあったマイクのコードを引きちぎり、マイクを卓上スタンドごと力一杯、床に投付けた。

ガーンと高い音をたてて床に大きく弾んだ。卓上スタンドから外れたマイクは、カウンターに当たり真横に飛ぶと、客席の椅子の下に滑り込んだ。そのマイクのコードだけが端を少し見せていた。待合室は一瞬、シーンと静まり、次いで、どよめきが起こり拍手に変わった。


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夢を追う男たち -11/18 [北陸短信]

                                .by 刀 根  日佐志

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「では、たびたび、韓国へは行かれるのですか」

「……」

「私はこういうものです」

荘一が名刺を差し出した。

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その男から名刺をもらうと長柳鉄工社長、長柳竜太郎と書いてある。

長柳は隣席の革ジャンを着た男を、親戚の者で俺の用心棒だとニコリともせず紹介した。荘一は笑顔で頷いた。

「ところで何の装置を開発したのですか、ご苦労されたでしょう」

荘一は、開発に挑戦する長柳に、尊敬の念をこめて話をした。

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長柳は人に接する態度は、ぶっきらぼうで愛想が良いとは言えない。生来の無愛想な者が人と接する機会が多くなると、その殻から抜け出て、少しは改善されることになる。彼はその過程にあると、荘一は好意的に考えた。でも世に言われる「技術バカ」の側面があり技術の話になると、そんなことは超越する。

先程までは、煩わしそうにしていたが、見開いたまぶたから黒目が光り始めて、荘一を見詰めた。

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「こいつに話しても解らないと思っていたが、少しは話が解りそうな奴である」とでも言いたげな彼の目は、輝きを増した。

「重油に水を混ぜ、燃料節減が出来る装置を開発したのです」

彼は得意満面の笑みを見せた。さらに強調するように声を強めて付け加えた。

「油に水を混ぜることには、たいへん苦労しました」

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実験を進めるが、結果が出ない、一方、時間は勝手に過ぎ去る。底を尽く費用、眠れぬ毎日、荘一には容易に想像が出来た。彼の顔に現れた傷と数本の深いしわは、その労苦を克服した証のように思われる。

またあの火傷の跡は、実験中に火炎を浴びた災難によるものだと容易に推察できた。


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夢を追う男たち -10/18 [北陸短信]

                               .by 刀根 日佐志

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果たしてフライトが可能なのか、荘一は、いまなお航空会社の対応に疑念を抱いていた。待合室の免税店でタバコや洋酒を買い求める者や、待ちくたびれて椅子に座り込んでいる者も多くいた。

荘一が座る椅子の隣では、六十歳前後と思われる町工場の社長らしい男と、三十歳位で、体格の良い革ジャンを着た男との二人連れが座っていた。

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二人とも背が高いのであろうか、椅子から長い足を、放り出して座っている。グレーの背広で細い体を包んだその社長らしい男は、時々、厳つい顔付きをした革ジャンからの話しかけには、頷きもせずに聞いていた。やがて、彼は一本の煙草をくわえ火を点けると、大きく吸い込み、天井に向け煙を吐き捨て、安心したように目を瞑った。

四方から昇り始めた煙草の青白い煙は、室内照明に照らし出されると、くっきりとしたまだら模様の浮雲のように、不規則な動きで上昇した。天井まで達すると、その煙は、むせ返るような淀みの中に吸い込まれていった。

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荘一がそっと横を向き、その男に話しかけた。

「お仕事で韓国へ行かれるのですか」

 目を開けて、なおも一服を吹かした後、右のまぶたから頬に掛けて、火傷で出来たと思われる傷跡のある細長い顔を、面倒臭そうにこちらに向けた。手の甲から手首にも大きな傷跡がある右手で、煙草の火を消した。

「私の開発した装置が、韓国で採用されたのでソウルへ行くところです」

細い長い目を見開き、大きな口を動かした。何となく彼の顔や態度から、職人気質であるが野心家の匂いがした。


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