フライトレーダー [和田の泊りより]
村尾さん
或いは既にご存じかも知れませんが、
下記サイトで現在飛行中の航空機の情報が得られます。
Flightradar24
画面を開いて飛行機にタッチすれば詳しい飛行情報が画面の左側に出て来ます。更に機体番号(Reg)をクリックすればその機体の過去の飛行履歴が出て来ます。
こんな物公開して保安上問題ないのかなあ。
月川@神戸
沖縄県営鉄道 [和田の泊りより]
村尾さん
与那原線(那覇~与那原)
嘉手納線(古波蔵~嘉手納)
糸満線 (国場~糸満)
いずれも762㍉狭軌鉄道でした。
戦災で駄目になった上に米軍が全て撤去してしまったそうです。
その後復活させる話は何回か出たそうですが結局モータリゼーションに負けて道路整備になったそうですが道路も結構混雑しているようで鉄道の見直しも行われているようです。
モノレールの「ゆいレール」も建設が比較的容易と言うことでお茶を濁した様ですが利用率は悪くないとのことです。
観光客が目当てかも知れませんがアセスメントの結果が見たいものです。
月川@神戸
沖縄の鉄道建設 [稲門機械屋倶楽部]
http://dorflueren.blog.so-net.ne.jp/2012-05-12-3
ゆいレール 沖縄モノレール
http://www.youtube.com/watch?v=8E70luQxsvo&feature=fvwrel
城の駅 [和田の泊りより]
皆さん
古い資料を見つけ出したので関連するページを添付します。
(jpegでないので掲載不能)
出典は昭和39年発行の[趣味の駅名事典」です。何分古い本なので昨日のメールでも書いたようにかなりの変化があります。
又城の文字はありますが城郭と関係があるのか或いは単なる地名なのか迄は分かりません。(村尾さんからの問いで都とか安と言う城が有ったのかと言うことですがどちらかと言えば大都市の意味ではないかと言う気がするのですが)
一応、存否をチェックしましたが無くなったのは廃線になった為自然消滅したものが殆どです。
廃線によるもの
豊城 宮内線 北海道
宮之城 宮之城線 鹿児島
新城 古江線 鹿児島
頼城 三井芦別
天城 下津ヰ電鉄
城山 釧路臨港鉄道
なぜこんな駅名が出てきたのか判らないがこの駅は昭和5年に廃駅になっている。
方城 伊田線 福岡
又、線名が三セクになった為に変わったものとして
富山港線 富山ライトレール
鹿児島本線(一部) 肥薩おれんじ鉄道
信越本線 しなの鉄道
があります。
又ここに記載されていない駅として
東城(とうじょう) 芸備線 広島
平城(へいじょう) 近鉄京都線
北安城 名鉄西尾線
城下(岡山城) 岡山電軌
熊本城前 熊本市電
大阪城公園があります。
又京王線の平山城址公園も漏れていますがこれも加えるべきでしょう。
それと五稜郭等も城の文字はありませんが、甲斐さんの定義から行くと加えるべきかなと思います。
もう少し時間をかければもっとあるのでしょうが、取敢えず手許の資料をお送りします。
月川@神戸
須磨歴史散歩:那須與市宗高 -3/3 [和田の泊りより]
この御利益でこの墓を参り、下着に御朱印を戴いて申の日に身に付けると歳をとっても下の世話にならないで済むと言う言い伝えがあり、毎月七日の命日にはお参りする老人が多い。
尚、正式の墓所は京都市の促

成院となっており、また那須氏では菩提寺玄性寺(栃木県大田原市)を本墓としている。本日午前中、妙法寺(写真右下)一帯を歩いて来た。
月川@神戸
月川さん:
在原行平に引続き今回は那須与一、読んで楽しめ、添付写真も素晴らしい歴史散策記をありがとうございます。あまりに詳しいので与一と同一世代で晩年まで付き合ってた方のようです。
語り口の調子が良くチョッとした講談を聴いた思いです。お蔭で那須与一を小生なりに偲んでいます...
ご朱印ある白い下着を申の日着用の事とし売り出しては如何でしょう...、
巣鴨の赤パンツと東西で紅白霊験を競うと競うのもオモロイかもネ...
那須余市の戦功
http://www.ibara.ne.jp/~i-nakani/senkou.html
このサイトでは、那須与一の長兄に森田太郎なる名があります。
小生森田家は関連あるかも...と昔云って呉れた友人がいました。
(偶然に、小生長男の名が太 郎です。)
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森田 和夫
都立庭園博物館: 八田 與一展 [和田の泊りより]
皆さん
森田さんの情報で八田與一展があるそうですが東京なので残念ながら一寸出掛けられません。
処で本5月8日は彼の命日で台湾の烏山頭水庫では盛大に慰霊祭が行われているものと思います。残念ながら台湾の人たちの方が彼の遺徳を慕って毎年慰霊祭を行って呉れるのですが、日本では教科書に載ることは勿論、名前を知る人すら少ないでしょう。皆さんも出来るだけ展示会に行って彼の遺徳を日本人にも知らしめてください。
月川@神戸
八田 與一
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E7%94%B0%E8%88%87%E4%B8%80
烏山頭
http://www.a-eda.net/asia/hatta1.html皆さんへ ・・・ 5/08 12:50 村尾
森田さんが報せてくれた「八田與一展」は下記の要領で開催されます。
場所: 台北駐日経済文化代表處公邸一階 「芸文サロン」
JR目黒駅より白金方向へ徒歩15分ほどの左側。
都立庭園博物館の白金台側の隣り。
開催日:5月9日より24日まで。10時より16時まで開館。
但し、土、日は休館。
10日と15日は、11時30分より14時の間は休館。
入場料:無料
私は行けるかどうか未だ判りませんが、森田さんが行かれるなら、先に「八田與一展」へ行く予定をお報せ下さい。同道が可能か否か判りませんが、出来る限り合わせます。
須磨歴史散歩:那須與市宗高 -2/3 [和田の泊りより]
吉川英治の新平家物語によれば、宗高はこのあと遅れて屋島に駆け付けた梶原景時に座興に命を掛けたとして叱責され謹慎させられます。
しかし朝廷からは五カ国の荘園を賜るのですが頼朝はこれらを没収し改めて自らの名前で五カ国の荘園を与え 那須野総領とします。
因みに与一と言う名前ですがこれは十一の意味で那須資隆の十一男にあたり十男の兄十郎之隆と二人は源氏についたが他の9人は平家に味方した為に与一が家督を継ぐことになった。これはどちらが負けても家門が残る一種のヘッジであり当時は割と行われていたようです。
そののち梶原景時の讒言により越後に配流されます。
しかし頼朝没後、梶原景時も討伐され本国に帰参します。
そして暫くして病に罹り、那須家の相続を兄之隆に譲り34歳で剃髪して法然の門にはいる。(34歳で没したという説もあるが義経に従ったため頼朝に疎まれ身を隠したと言う)法号禅海宗悟と改め病身をおして源平将士の菩提を弔うために西国の社寺を参拝して回った。


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折しも北向八幡宮に参詣され暫くの滞在中に病が重くなりついに体の自由がきかなくなり、現在の墓所の念仏堂を病床として村人が昼夜を分かたず手厚く看病したにも拘わらず薬石効なくついに亡くなられた。
その臨終の際に「自分は今日まで皆々様に長々と篤い看護をして頂きながらも、その御恩に報いることなく永の別れをするのは誠に残念。自分が死んだ後は報恩謝徳の為に必ず、あなた方がこのような難病に掛からぬようお守り致します」と約束されて穏やかに大往生を遂げられたと言われています。
月川@神戸
須磨歴史散歩:那須與市宗高 -1/3 [和田の泊りより]
皆さんへ
GWも終わりに近づき、今日はまた天気が回復したので地下鉄の隣の駅のごく近場に出掛けました。
今日は那須與市宗高です。
源平合戦の屋島で見事、扇の的を射落とした話は有名ですが、それ以外の事は殆ど知られていません。ところが彼の縁の場所と墓所がごく近くにあったのです。
話は前回の義経の話とダブりますが義経一行が鵯越えから一の谷に向かう途中、鷲尾基春なる猟師に出逢い鉄拐山への道案内を求めるとこれより先は平家軍が固めているので一旦戻り白川村から近道があるのでそちらを案内すると言うことで落合山の峰を進行中(現在小生が住んでいる所も落合なので多分この辺り)一天俄かにかき曇り辺り一面霧に包まれ動くことも叶わなくなってしまった。
義経は「かかる時には神仏の助けを願うより外なし」と基春に尋ねると「これより八丁ほど東・妙法寺村に世にも稀な北向き八幡宮があり、位が高く小鳥でさえその上を飛び越すことが出来ない」と言う。
宗高は故郷に於いても八幡神社を信仰していたので北向き八幡と聞くや大地にひれ伏して祈願すると瞬く間に辺り一面晴れ渡り進むべき道が見えてきたので東へ向かい北向き八幡に参詣し厄除け守護のお守りを受けて兜に納め、戦場に臨み一の谷の戦いに勝利を得たのであった。(この辺り前回の田井畑厄除八幡の義経の祈願とダブるような気もするがルートとしては線上に乗るので別の話としておく)
そして屋島の源平対陣となり有名な扇の的の話になるのですが義経は最初、畠山重忠に「あの軍扇を射落とせ」と命じるのですが「もし射損じたならば、我が身の恥ならず、源氏の名を傷つける」として宗高を推挙する。宗高も同様、断るが義経は大いに怒り「鎌倉を出でしより、西国へ向はんとするものは、この義経の下知に背くべからず。
若し異論のあるものは早々鎌倉へ帰るべし」と声を荒げたので、重ねて辞するも悪しからんとて鵜黒の駒に打ち跨り海中に乗り入れるが、馬は関東馬の為に海に馴れておらず寄せ来る小波に驚き狂い足元が定まらず、狙い定める術が無かった。そこで宗高眼を閉じ心を鎮めて八幡宮に祈念し暫くして眼を開けてみると扇は静まったので矢をつがえ、ひょうと放つと狙いあやまたず見事扇を射落とすのですが、これから先話がおかしくなってきます。
月川@神戸
須磨歴史散歩:在原行平(中納言行平) -2/2 [和田の泊りより]
話が脱線しますが田井畑には「鷲尾」姓が多い。義経が一の谷を攻める際に道案内の猟師に鷲尾三郎を名乗らせたのが始まりだとか。

ここで「松風」「村雨」の墓及び彼女等が水鏡に使ったという「鏡の井」(名前は立派だが水面には枯れ草が浮いていてとても鏡になりそうもない、周囲は立派だがせめて水面だけでも綺麗にして欲しい)と義経腰掛の松を見る。(地元では”ほんがんさん”[判官さん]と呼ばれている)そして厄除八幡宮。総べての写真はクリックで拡大します。
ここの鳥居は石造りの立派なものがあったのですが例の阪神淡路大震災で倒壊してしまい。現在は木造のものに作り換えられている。参詣したのち再びバスに乗り、こんどは松風村雨堂に向かう。


堂と言っても現在は普通の民家のようなもので庭内に縁の衣掛けの松、歌碑などがある。因みにこのあたりには稲葉町、松風町、村雨町、行平町、衣掛町など故事に縁の町名がある。
これらの町を歩いて最後は須磨の海岸に出て和田岬にあった旧灯台を移設したものをみて散歩の終わりにした。
月川@神戸
須磨歴史散歩:在原行平(中納言行平) -1/2 [和田の泊りより]
今回は在原行平です。
百人一首の「たち別れ いなばの山の峰に生ふる まつとし聞かば今帰り来む」 の作者で、美男子で有名な在原業平の兄です。
その彼が文徳天皇の勘気を蒙り須磨に配流されます。その時、汐汲みに出た田井畑(たいのはた)のむらおさの娘「もしほ」と「こふじ」と出会い、この二人を「松風」「村雨」と名付けて寵愛します。
のちに勘気がとけて都に帰る際に傍らの松の木に烏帽子・狩衣をかけて形見に残します。
上記の百人一首の詠は、任地であった因幡の国に下向する際の詠んだものというのが一般的ですが、この離別の際に詠んだものということにもなっています。
そののち松風・村雨姉妹は尼となって行平の旧居に庵を結んで彼を偲ぶのですが、この庵の跡が松風村雨堂として今も残っています。
地理的には田井畑は一の谷の北方3kmほどのところにありこの姉妹が汐汲みに出るには一寸遠い様な気もしますが或いは海女をしていたのかもしれません。
と言うことで一時間に一本しかないバスでまず田井畑に向かいます。田井畑には厄除八幡宮があり毎年初詣に往くところです。
源義経が一の谷の平家軍を攻める前にここで祈願し一休みしたと言うことで腰掛の松(左の写真)というのがあります。
月川@神戸
RE: 蒸気機関車の発電機 [和田の泊りより]
村尾さん
蒸気機関車については使用電力も前灯、運転室灯、標識灯位で、たかが知れていますのでUPSである小型の蒸気タービン発電機で十分です。車軸から回すと言っても発電機の取付スペースが無く、また停車時のバックアップ用のバッテリーもありません。
発電機を車軸で回していたのは、最近では殆ど見掛けることが無くなった旧型一般客車、或いは貨物列車の車掌車で、これは車軸からベルトで駆動していました。そしてバッテリーに蓄電し低速時、停車時にはこちらから給電していました。
発電機は勿論可逆式で、これも負荷は殆ど室内灯でした。
電車の場合はモーターを駆動する主回路と制御、照明、放送、空調などに使用される補助回路がありますが、補助回路に架線電圧をそのままかける訳に行きませんので降圧が必要ですが、以前は架線電流は直流だったのでトランスが使用できず電動発電機(Motor Generator:MG)が使用されてきました。
取り付け位置は台車とは無関係に床下です。そして負荷にメンテが楽な三相交流モーターが使われるようになってからは(空調、機器冷却用ブロワー、空気圧縮機など)電動交流発電機(Motor Alternator::MA)が使われるようになりました。更に最近では半導体を使用したコンバータ(直流出力)やインバーター(交流出力)が自由に使えるようになり静止型補助電源装置として一般的に使用されています。名前も航空機と同様にAPU或いはAPSと呼ばれることが多くなっています。
村尾さんは覚えておいででしょうが、昔、地下鉄銀座線では駅の近くでポイントを通過するたびに室内灯が消えて代わりに小さな補助灯が点いていました。これは当時はMGも無くこれらの回路に第三軌條の600Vを直接使用していた為ですが、第三軌條のギャップを通過する度にこの様なことが起こっていました。
ついでながら気動車の場合は自動車と同様、ディーゼルエンジンに付属した発電機で発電していますが、空調等のように負荷が大きく、且、三相交流の場合には別にディーゼル発電セットを(DG)を設けています。客車の場合も同様にDGセットが搭載されています。
また、これも消滅しつつありますがブルートレインのように固定編成客車の場合は列車全体の電源を賄う大型DGを搭載した電源車が連結されています。
月川@神戸
Re: ゴールデン・ウィーク前 -2/2 [和田の泊りより]
車中、高雄は初めてかと聞かれ新幹線の仕事で二年程居たことがあると言ったのですが,この「新幹線」が通じなかったようで旦那が「高鐵(ガオティエと発音する)」と助け舟を出して呉れて了解。
台湾の人の親切に触れて嬉しくなり雨の鬱陶しさも吹っ飛びました。
そして地下鉄に乗ったらすぐに若い女性が席から立って家内に席を譲って呉れ、そうしたら隣のもう一人の女性が私にも席を譲って呉れました。家内は「ありがとう」
わたしは「謝々」と言って有り難く座らせて貰いました。
台湾では優先席を「博愛座」と言いますがそんなものが無くても誰でも年寄りと見れば直ぐに席を譲って呉れる土壌があり、まだ小学校にも上がっていないような子供でも、席を譲ることを知っています。
日本でも阪急電車が一時、この考えで優先席を止めたことがあったのですが効果なしということで再び優先席を設けたようです。どうも情けない話ですが。ただ日本でも何故か北海道だけは優先席のルールがキチンと守られていて少々混んでいても元気な人は優先席に座りません。誰が教育しているのか判りませんが。
以前、車椅子で海外旅行をした人の手記で読んだことがあるのですが、車椅子でタクシーに乗りトイレに行きたいと言ったら、運転手が車椅子ごと抱えてトイレに連れて行って呉れたとのことで、この人の感想でPhysicalなバリアは兎も角として本当のバリアは人の心の中に有る、こういう心の持ち主が居ればバリアなど問題ではないと書かれていました。何時だったか村尾さんが駅の勾配で車椅子で難儀している人を誰も助けて上げないので見るに見兼ねて押してあげたと言うメールを戴きましたが日本人の心のバリアはまだ中々取れないようです。
優先席に若いものが我が物顔に座っているのを良く見かけますが、歩道の段差は取り除くことが出来ても心のバリアフリーを達成するためにはやはり教育の力を借りなければならないと思うのですが今の日教組主導の教育ではそれもおぼつかないでしょうね。
と言うことで、最後はボヤキになってしまいましたが台湾の温かさに触れた嬉しい旅でした。
月川@神戸
Re: ゴールデン・ウィーク前 -1/2 [和田の泊りより]
森田さん、皆さん
JALのマイルが無効になるので、それを使って家内と娘夫婦の4人で、ゴールデンウィークで皆が動き出す前に高雄へ行って来ました。
今回は特に行きたい場所も無いし、家内が膝が痛いというので余り歩き回ることも出来ずただのんびりして来たというだけで特に御報告するようなこともない旅でした。
高雄では、旗津の灯台に行ってなかったのでそこへ上ったのと、翌日は雨だったので美術館へ出掛けただけでした。写真も殆ど撮っていないので灯台からのものを少し添付します。
日本では灯台は海上保安庁の所轄だと思いますが台湾では税関がやっているようです。


高雄灯台と灯台より高雄港内及び市内を見る。ここは日本海軍の軍港でもあった。

美術館(写真は入口)へはホテルからタクシーで行ったのは良かったのですが、帰る段になってタクシーを何処で捕まえたら良いのか判らず、案内所に行って片言の中国語で地下鉄の駅までタクシーに乗りたいのだけれども何処で乗れば良いのかと聞いた処大通りまで出れば良いとの答え、雨の中を大通りまで歩いて行くのも嫌だなと外を眺めていたら、若い夫婦ずれの奥さんが英語で「私たちは車があるので地下鉄の駅までで良かったら送って上げる」と声を掛けて呉れました。ご好意に甘えて乗せて貰うことにして近くの地下鉄まで送って貰いました。
月川@神戸
乗車率と空気ばね -2/2 [和田の泊りより]
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甲斐さん
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なお空気ばねの制御は高さ調整弁(レべリングバルブ)と言う弁が床下にあり台車枠とはターンバックルのついたロッドで繋がれていますので殆どの車両で台車の側面に見えると思います。
また運転台に何故表示するのかはよく分かりませんが 検修時にキャリブレーションを行うなど他の使い道はあるのだと思います。
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この技術は特に日本だけのものではなく現在では世界的に使われています。話は細かくなりますが、鉄道車両では車輪とレールの間の摩擦力によって性能が決まるのでこの摩擦力をギリギリまで使うように制御しているのですがモータ出力、ブレーキ力がこの摩擦限界を超えると、空転・滑走と言った車輪を損ねる事象に繋がります。摩擦力は車両の重量(含む乗客)x摩擦係数ですから車両の重量の変化をチェックして空転・滑走が発生しないような出力を設定しているのです。
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ただ摩擦係数だけは天候など神様の所掌ですから制御出来ないのが泣き所ですが、それでも空転・滑走などと言うことが起これば瞬間的にモータ出力、ブレーキ力を弱めて対応するようにはしています。
月川@神戸
乗車率と空気ばね -1/2 [和田の泊りより]
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Fw: 時々懇Apr02(月)2012
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森田さん、甲斐さん
時々懇レポート有難うございました。
楽しく拝見しました。皆さんお元気そうで何よりです。
ところで甲斐さんのお訊ねですが、「乗車率」の検知は空気バネの圧力に依っています。
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空気ばねはバネですから第一の目的は衝撃・震動の緩和ですが、もう一つの役目は車体高さを一定に保つことなのです。つまり乗客が増えればバネですから当然撓んで車体が沈みます。そのときにこの沈下量を検出して空気圧を増し、車体の高さを元の位置に戻します。逆に乗客が減ればその分だけ車体が浮き上がるので今度は空気圧を減らして車体の高さを元の位置に戻します。(これは車体床面とホームの高さを揃えるバリアフリーの役にも立っています。)
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と言うことで空気ばねの内圧は乗客数に従って増減するので、これを電気信号に変換して乗車率なり、平均体重で割り算すれば人数としても表示出来ます。そして電気信号に換算するのは本来表示するためではなく加・減速度を乗客の多寡に関係なく一定に保つ制御を行うために使われているのです。
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つまりモーターの出力、ブレーキ力を一両毎に制御しています。甲斐さんがご覧になった先頭車と後尾車ではモーター電流、ブレーキ力が異なっているのです。
月川@神戸
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鉄道車輌の車高調整 [稲門機械屋倶楽部]
http://dorflueren.blog.so-net.ne.jp/2012-04-04
金星-月-木星 直列 [和田の泊りより]
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皆さん昨夜(3月26日)8時頃、西の空で金星ー月ー木星が直列に並ぶ現象が見られました。写真を撮りましたので添付します。気が付くのが一寸遅かったので一番下の木星の位置が若干ずれていますが、ほぼ一直線です。次は8月13日に今度は東の空でペルセウス座流星群と一緒に見られるそうです。 写真はクリック下さい。拡大します。
月川@神戸
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月川さんへ ・・・ 3/27 21:10 村尾.
金星・月・木星の直列写真を拝見しました。実は、昨夜の同じ時刻頃、私の家から町内会館へ向って歩いていたのですが、この道は西へ向っていて、月がよく見え、その真っ直ぐ上に明るい星がありました。多分、金星だろうと思ったのですが、その下方に木星があるとは想像もせず、しかも最近は眼が悪く、特に夕刻以降の視力低下もあって、珍しい光景を見逃しました。
鉄道車両の転向 -2/2 [和田の泊りより]
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またまた話が広がって行くのですが今までの話とご両所から頂いた話を左図の様に纏めてみました。
図はクリックで拡大します。
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原理的には蛇窪回しも塚口回しも森田さんの”Y" 字方式(仮にアリゾナ方式と呼びます)と同じです。
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そして転車台方式ですがこれには行き止まり線から機関車を逃がす為の機回り線と称する側線がもう一本必要です。上野駅の地上線の様な行き止まり線には必ずこの線が付いています。機関車を先頭に入線して来た列車から機関車を切り離し、転車台の有無は別として列車の反対側のエンドへ機関車を繋ぎかえる必要があります。
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日本やアメリカのように自動連結器を採用している国では解結作業も簡単ですがヨ―ロッパのようにねじ式連結器(フック付の鎖を相手に引掛けターンバックルで締め上げる)を使っている鉄道では二度解結作業を行うのは結構手間が掛かります。
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アリゾナ方式では土地は必要ですが折り返し作業は非常に簡単です。特に展望車とか車掌車など列車の最後尾に来るべき車輛が決まっている場合は絶対に必要でしょう。
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上野駅も最近では電車列車が殆どでこの様な風景も余り見ることができませんが客車列車の場合、尾久迄の回送は機関車を付け替えたりせずに先頭に簡易ブレーキ装置を持った見張り人を置き推進運転で行っていました。
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また、新幹線が出来るまでは東京駅でも長距離列車の発着は一番八重洲口寄りの15番線でしたがその外にホームの無い16番線と言う機回り線があり列車が東京駅に到着するとすぐに機関車を切り離して神田方に逃がし16番線を通して品川方に回していました。今では夢のような話ですが。
月川@神戸
鉄道車両の転向 -1/2 [和田の泊りより]
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村尾さん
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転向等と言うと思想改造かなにかのように聞こえますがこれは文字通り向きを変える話です。
前電で転車台が無いと車両の向きが変えられないような書き方をしましたが、追加しておきますと三角線を使うという手もあるのです。熊本に三角線(みすみせん)という線がありますがこちらは「さんかくせん」でスイッチバックを二度繰り返して通すと方向を逆にすることが出来ます。
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有名な例では、その昔我々が学生時代には東海道線の花形特急として「つばめ」「はと」があり、その最後尾には展望車が連結されていました。展望車は上り下りに関係なく常に列車の最後尾に連結されていなければなりませんから、所謂シャトル運行で往復していたのでは一回置きにおかしなことになってしまいます。
そこで毎日終点まで走ると転向していたのですが、具体的には上り列車が東京駅に到着すると、そのままネグラである品川客車区に入庫するのではなく、現在横須賀線が走っている品鶴貨物線で蛇窪信号場と呼ばれる地点まで回送します。そして今度は湘南新宿ラインが走っている山手貨物線を逆に走り、大崎駅まで行って再び逆に走り品川客車区迄戻っていました。これで展望車が東京寄りを向き翌朝そのまま東京駅まで回送すればちゃんと展望車が最後尾になっているのです。この運用は場所の名前をとって「蛇窪回し」と呼ばれていました。
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大阪でも同様に大阪駅から直接宮原客車区に戻るのではなく下り線をそのまま走って福知山線の塚口駅まで行きそこで折り返して今度は上り線を走って宮原客車区に入庫していました。翌朝上り線を出庫して大阪駅に着くと展望車が最後尾になっています。
手間のかかる話ではありましたが仕様がありません。
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この他、場所と大型クレーンがあれば一両ずつひっくり返す事も可能です。ご参考までに。
月川@神戸
東急車両から東横線への回送 -2/2 [和田の泊りより]
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川重製の車両を運ぶ場合もJR貨物のお世話になります。
川重兵庫工場にはJR和田岬線が分岐されて引き込まれていますので工場内で仕立てられた列車は此処でJR貨物の機関車に連結され、兵庫駅を経由して鷹取駅で山陽本線に乗り、後は電気機関車に牽引されて東海道本線を東上します。
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国鉄時代には自力回送と言うこともあったのですが民営分割化以後はJR貨物との契約で甲種輸送を行っています。
横須賀線の場合は新鶴見まで東海道を上り それ以降は上記東横線の逆のルートで大船迄行くと思います。
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ついでながら川重製京急の車両を運ぶ場合はゲージが違うので仮の台車に履き替え、横須賀線と同じルートで大船迄行き更に東横線の逆ルートで東急車両まで入りここで正規の台車に履き替えた上で整備を行い、京急線に出て本線試運転が行われます。
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ついでの話をもう一つ。
鉄道車両は各社、各路線毎に向きが決まっており全て同じ向きに揃えられています。通常「一端」、「二端」と呼ばれJR の電車で言えば車端に①、②の表示があります。これは検修設備との関連、運用上の問題で向きがバラバラだと不都合が起こるからですが、最終目的地でこの向きを正しく納入するためには回送ルートをよく調べておかなくてはなりません。途中にスイッチバックがあると向きが変わってしまうのです。
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電車メーカーは転車台を持っていませんから最初に車両を作る時からこの向きを正しくセットしておかなければなりません。
以前北海道に送る車輛が台風の影響で線路が不通になり急遽ルート変更して納入しようとしたところが向きが逆になってしまい北海道に着いてから五稜郭機関区で一両ずつ向きを変えて貰った事があります。
また最近の車両のブレーキは空気だけではなく電気制御も使われているので無動力回送と雖も電気が必要です。
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これもチョンボの話ですが東海道本線を東上している途中、浜松辺りで回送の列車バッテリーが上がってしまいブレーキが緩まなくなって立往生したこともありました。
車輛の回送というものも結構気を使うものです。
月川@神戸
東急車両から東横線への回送 -1/2 [和田の泊りより]
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村尾さん
東急車両から東横線への回送ルートですが複雑です。
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先ず鉄道車両の輸送は自分の車輪を使って他車に牽引して貰うのが普通でこれを甲種(鉄道車両)輸送と呼んでいます。(貨車に載せて運ぶのを乙種輸送と分類していますが現在では事実上存在していません。
この他、トレーラーによる陸上輸送、艀による海上輸送、日本国内ではありませんが空輸も必要に応じてあります。)
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ところで東横線の車両ですが、東急車両から神武寺駅までは東急車輛の牽引車で回送されます。(自力回送も可能ですが多分やっていないと思います)そこからはJR 貨物のご厄介になり長旅が始まります。以下のルートです。
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神武寺駅-(東急車両専用鉄道)-JR逗子-(横須賀線)-大船-(根岸線)-桜木町-(高島貨物線)-鶴見-(品鶴線)-新鶴見信号場ー(武蔵野南線)-府中本町-(南武線)-立川ー (中央線)-八王子ー(横浜線)-長津田
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此処まで来てやっと東急電鉄との接点に辿り着きます。
この駅の授受線でJR貨物とはおさらば。
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あとは東急電鉄の牽引車で東急長津田駅構内に引き込み、それから先は良く分かりませんが田園都市線の長津田検車区で各種検査、試運転を終えて自力回送をするのか、最小限の検査で速度制限を受けて元住吉検車区まで走るのかは定かではありません。いずれにしても回送は長津田ー(田園都市線)-二子玉川ー(大井町線)-大岡山ー(目黒線)-田園調布ー(東横線)-元住吉検車区だと思います。
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なお、その昔には横浜線菊名駅構内に、横浜線と東横線をつなぐ連絡線があったそうですが現在は何も残っていません。
西武鉄道所沢工場 [和田の泊りより]
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村尾さん
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西武鉄道系の車両メーカーとは多分西武鉄道所沢工場の事だろうと思います。西武鉄道は終戦後は国鉄から所謂旧型国電の払下げを受け自社工場である所沢工場で改装して長い間使っていました。そのうち新車も作るようになったのですが台車だけは国鉄のお古のままだった事を覚えています。この工場は自社用だけではなく他社の車両も手掛けていたと思いますが、都電までやっていたかどうかは定かではありません。
尚この工場は1999年に閉鎖されています。現在西武鉄道の車両を作っているのは、東急車両、日立製作所、新潟トランシス位だと思います。
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月川@神戸
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月川さんへ.
正式な社名を思い出せないのですが、昭和30年代初めの頃、西武鉄道系の車輌製造会社が西武線の奥の方にありました。この会社、当時の都電を製造しており、私が学生の頃のアルバイト先が下請けで部品を製造していて、私も制作図面を書かされました。
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都電の廃止と共に名を聞かなくなりましたが、西武線の電車は何処の車輌会社が製造しているのでしょうか。
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by 村尾鐵男 (2012-03-11 08:17)
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東急車両 [和田の泊りより]
http://dorflueren.blog.so-net.ne.jp/2012-03-10-1
東急車両 [和田の泊りより]
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時々懇)皆さん
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また鉄道車両メーカーの名前が一つ減ります。京急・金沢八景にある東急車両製造(株)がこの4月2日付けでJR東の完全子会社(株)総合車両製作所 (略称"J-TREC"Japan Transport Engineering Company)となります。
新幹線電車の置き替えも一応終り国内需要も大きくないことから車両メーカーにとって冬の時代になります。
月川@神戸
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月川さんへ ・・・ 3/10 14:10 村尾.
東急車輛がJR東日本に買い取られることは、暫く前の新聞の横浜版で報ぜられていました。あの場所は、戦前の海軍航空廠の北端の辺りで、その跡地で鉄道車輌の製造を行った着眼に感心していました。.
一方、最近はJRも私鉄も新しい車輌が増え、数年前に月川さんから教えられましたが、鉄道車輌は20年、30年と走らせるので、これでは需要が先細りしてしまいます。
話が前後しますが、東急車輛の工場位置はJRの線路からは遠く、至近の位置を走る京浜急行はゲージが違っており、今後、JR東日本はこの不便さを如何に乗り越えるのでしょうか。又、東急車輛へ優先的に発注しているらしき東急や京急は今後、何処へ新型車輌を発注するのでしょうか。
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Re. 東急車輛
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村尾さん.
JRと京急のゲージの違いですが、もともと東急車両は国鉄在来線、私鉄の車両も作っており東急車両から京急金沢八景駅を経由して京急神武寺駅までの間は例の三線軌となっているのです。そして京急神武寺駅の側線からJR逗子駅の間は東急車両専用の3’-6”の線路で繋がっているのでゲージの問題は特にありません。
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それよりも気になるのはJR東の新津工場と、この新会社とのすみ分けで、お互いに何を分担するのか興味のあるところです。
今までの例から行けば、新会社はエンジニアリングと新幹線、私鉄(東急、京急、小田急、相模、京成、東武、西武、京王、東京メトロ、南海など)向け、それに輸出もやるのかどうか判りませんが、そんなところではないかなと思ってはいるのですが。
月川@神戸
Subject: パンタグラフのこと [和田の泊りより]
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月川さんへ ・・・ 3/04 21:05 村尾
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最近の電車は10輌編成でも、又、16輌編成の新幹線でも、パンタグラフは二つしか上げず、残りは折りたたんでいます。
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これは長い編成車輌を前後に結ぶ電力ケーブル・・・専門名称が思い出せませんが・・・が装着されているからと聞いています。
確かに、使うパンタグラフの数を少なくすれば架線との摩擦も減り、パンタグラフと架線の磨耗を防げます。でも昔は沢山のパンタグラフを上げていました。
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しかし一方で、使うパンタグラフの数を減らすことの効果はこれも昔から知られていたと思うのですが、長い編成の電車でパンタグラフが二つしか上がっていない光景をよく見るようになったのは最近のことです。
どれほどの電力容量になるのか知りませんが、編成車輌の前から後ろまで通す電力ケーブルを作る技術はそれほど難しかったのでしょうか。
乗客への安全、即ち、車体に漏電させない技術の確立に年月を要したのかと想像したのですが、それもよく考えると、パンタグラフ付きの車輌は昔からあって、車体に漏電したことを聞いたことがありません。
素人がふと思い出した疑問です。
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村尾さん
新幹線の場合、Bus Lineは屋根の上を走っています。普通の目の位置からは見えませんが連結部で渡り線を見ることが出来ます。
適当な写真が無いので下記サイトの写真をご覧下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E9%AB%98%E5%9C%A7%E5%BC%95%E9%80%9A%E7%B7%9A
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架線電圧が25kVと高圧なので電線のサイズは
それ程太くはありません。(正確なサイズを覚えていないので上記の写真で判断して下さい。)
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尚在来線車両のBus Lineは床下を通っています。
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PS 以前に九州新幹線の屋根上を撮った写真があるのを思いだしたので添付します。真ん中を走っているConduitが引き通し線です。車間渡りも被覆が多いので太く見えますが電線そのものは上記サイトのケーブルヘッドで見える程度のものです。
月川@神戸
Subject: パンタグラフのこと [和田の泊りより]
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村尾さん
パンタグラフの数に付いてのお訊ねですがこれは車輛の技術と言うよりは地上側の設備の改良によって可能となったものです。
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御承知の通り鉄道を交流電化すると周辺で電磁誘導障害が発生します。これを避けるために架線の電流とレールを流れる帰線電流が逆向きであることを利用してレールを流れる電流を別の電線に吸い上げ、これらを近ずけて相互の誘導作用を打ち消し合う方式が取られました。
この帰線電流を吸い上げる為に約4kmおきに架線を絶縁し、この間にブースタートランスと呼ばれる巻線比1:1のトランスを置いて、このトランスの一次側の両端を絶縁されて向かい合った架線にそれぞれ結び、二次側を上記の帰線電流用の電線に接続しました。
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問題はこの架線のセクション間のギャップでこれは前にお話しした無電圧区間ではなしに架線を並列に配置し、この間を離したエアギャップと称するものでパンタがこの部分に進入すると両区間が短絡され、また離脱時には負荷電流をパンタで遮断することになり過大なアークが発生します。このアークにより架線が切断する事故が多発した為に新幹線の0系ではそれぞれのユニット独立させそれぞれにパンタをのせたのです。0系は2両で1ユニットでしたから16両編成では8基のパンタが必要でしかも独立しているので高速走行時の離線率が高く、夜、新幹線が走っているのを見ると花火のようでした。
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そこでこの対策としてBTの代わりにオートトランス(AT)と呼ばれる単巻変圧器を置き中間タップをレールに両端をそれぞれ架線と帰線に接続しました。このコイルの両端は交流電源にも接続されています。
これで架線とレールの間を正規の電圧にすると送電電電圧は2倍となるので電流が半減し変電所の数を減らす効果もあります。
この方式を採用することによりブースターセクションを通過する際のアークの発生が抑えられることになりパンタ間をBus Line でつなぐことにが可能になりパンタの数を減らす事が出来ました。
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(700系では5号車と13号車の二か所のみ)車輛側でのパンタの問題は電気的には余り問題は無いのですが、問題は何と言っても高速走行時の風切り音でこの為にパンタの小型化パンタカバーの設置等色々な対策が取られています。あと車両間の電線を切り離すのが面倒なのが一寸した問題で全般検査など一両ずつ切り離すのに手間が掛かります。
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以上端折って書きましたので判り難いかと思いますので詳細は下記サイトをご覧下さい。
月川@神戸
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http://ja.wikipedia.org/wiki/BT%E9%A5%8B%E9%9B%BB%E6%96%B9%E5%BC%8F
Re: 箱根登山鉄道の無電圧区間 -2/2 [和田の泊りより]
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一般的には無電圧区間は惰行で通過することになっており、またお説の通り一両だけで走ることも皆無ではありませんが余りありませんのでこの区間で停車してしまうと言うことはまず無いと思いますが、想定外と澄ましているのもずるいので答えるとすれば「立ち往生」でその場合は他の車両で押すか引くか、するしかありません。
ハイブリッド車が普及すれば解決するかもしれませんが。
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箱根湯本、小田原間はもともと箱根登山鉄道が運転しており小田急が湯本迄乗り入れる形になっていたのですが(10年前に甲斐さんが撮影された小田原駅付近の線路配置写真を添付します)2003年に小田急の完全子会社になり、2006年からは小田原―湯本間は小田急のみの運行となりました。これに伴い小田原~入生田(いりうだと読みます)間の三線軌は撤去されましたが しかし車庫が入生田にあるために湯本~入生田間だけは三線軌となっています。写真はクリックで拡大します。
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電圧は1500Vですが箱根登山鉄道の車両にはもともと複電圧装置が付いており運転に問題は無い筈です。
月川@神戸
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箱根登山鉄道の無電圧区間 [稲門機械屋倶楽部]
http://dorflueren.blog.so-net.ne.jp/2012-02-24-4
Re: 箱根登山鉄道の無電圧区間 -1/2 [和田の泊りより]
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村尾さん
一口に無電圧区間と言っても色々な種類がありますので長さも変わって来ると思います。
今回のケースは下記の2 或いは 5に相当すると思います。
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1. 直流電化区間と交流電化区間の境に設けられるもの
2. 同じ電化方式であっても、使用電圧の異なる区間の境に
設けられるもの(電圧区分セクション)
3. 同じ電化方式・電圧の交流電化方式の区間において、交流電流
の位相が異なる区間の境に設けられるもの。具体的には変電所
同士の送電区間の境目となる場合が多い(異相区分セクション)
4. 交流電化方式の区間において、使用周波数の異なる区間の境に
設けられるもの(周波数区分セクション)
5. 電化方式も電圧も同一の場合で、相互乗り入れを行う場合に、
会社間の電源分離を行うために設けられるもの.
無電圧区間の長さは、隣り合った変電所を列車で短絡してしまうことが無いように設けるものなので、理屈からいえば「架線を短絡するのを防ぐ時間(約0.2秒)に列車が進む距離 + 2パンタ車のパンタグラフ間隔の長さ」と言うことになります。
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なお、架線を短絡するのを防ぐ時間とは回路の切替えに要する時間、また2パンタ車とは一両であるとは限らず現在の新幹線のように一編成(16両)に2個のパンタグラフだけでこの間を引き通し線で繋いでいる場合などはかなり長いものになります。箱根湯本駅では何処に無電圧区間があるのか知りませんが多分両方の線路が合わさる駅の入口付近だろうと思います。
月川@神戸
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箱根登山鉄道の無電圧区間 [稲門機械屋倶楽部]
http://dorflueren.blog.so-net.ne.jp/2012-02-24-4腰痛、ためしてガッテン [和田の泊りより]
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村尾さん、森田さん、皆さん.
昨日の「ためしてガッテン」ご覧になりましたか。
でした。原因は矢張りストレスとのことでしたが
今回の対応は犬猫のペットではなく姿勢を
正して歩くでした。一寸要領がありますが
簡単なので実行可能かと思います。
なお再放送は22日(水)00:15~01:00で時間的
には一寸無理ですが。
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ホームぺージでも見ることも出来ます。
http://www.nhk.or.jp/gatten/.
月川@神戸
御殿場線山北駅 [和田の泊りより]
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村尾さん、森田さん、甲斐さん
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村尾さんのニュースで山北駅が話題になりましたが、昔読んだ内田百閒の阿房列車に御殿場線の話があったのを思いだし、古い本を引っ張り出して来ました。書面はクリックで拡大します。
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高校生の頃に買ったので今では紙もボロボロになってウッカリページを捲ると破れてしまいますが何とか読めるのでスキャンしてみました。
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御殿場線を走った話と、国府津駅で乗り換えにトラぶった話です。
興味がお有りでしたら読んでみて下さい。
月川@神戸
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http://dorflueren.blog.so-net.ne.jp/2012-02-12-1
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内田百閒の阿房列車..
月川さん
.by ぼくあずさ
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阿房列車を読んだ記憶がないのだが、学生時代から今も使用している本棚にある日本文学全集(新潮社)を調べました。やはり購入していませんでした。処が何気なく1冊を開きましたら、“西島蔵書”の押印がありました。今なら“西島文庫”にしたと思います。
何やら古い栞が挟まっていたり、懐かし思いがしました。 多謝。
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月川さんへ ・・・ 2/13 21:15 村尾
添付していただいた内田百閒の阿房列車を読みました。随分と古そうな本で、しかも旧仮名遣いで、風情を感じます。
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七、八年前に、国府津乗換えで御殿場の一つ先の駅まで行ったのですが、JR東日本の東海道線が、遅れていたかどうかは判らなかったのですが、東海道線が国府津のホームに差し掛かったときにJR東海の御殿場線が発車しました。あのときの御殿場線の電車は準急「東海」で使っていた車輌で、いたって乗り心地よく、一度は乗ってみたいと思い続けていた車輌でした。
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上りと下りでトンネルの数が一つ違うと内田百閒は書いていますが、私はトンネルを数えておらず、今でも違うのでしょうか。
ところで、御殿場線の国府津と沼津、どちら方向が上りでしょうか。ともあれ、古色蒼然たる本を探し出してコピーを送っていただき有難うございます。
Re: 東京駅発山北行き東海道線 [和田の泊りより]
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村尾さん
御殿場線に関する情報有難うございます。御殿場線も丹那トンネルが開通するまでは東海道本線で特急の「つばめ」などもここを通っていた訳ですが山北・御殿場間が急勾配であったために補機を付けて後押しすることが必要でした。
その為に山北には機関庫が置かれこの町の人口の大半が鉄道関係者で占められた日本でも有数な鉄道の街でした。それが今や無人駅になるとは世の儚さを感じます。
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歳をとった所為で昔の事が思い出されますが機関区ではなく機関庫だったせいでしょうか、今でもそうかもしれませんが業界では車両の基地を庫(くら)と呼びます。また流石に電気機関車には適用しませんが機関車の事を「かま(缶)」と呼んでいました。
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東海と東、そして西との関係がぎくしゃくしているのも困ったものですね。並行して走っているのなら兎も角、直列に繋がっているのですからもっとお互いに客を増やすことを考えたら良いと思うのですが。
準急の東海とともに大阪・名古屋間を走っていた「比叡」[伊吹]といった準急も消えてしまいました。金勘定だけではなしに客の便宜も図って欲しいものです。
月川@神戸
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http://dorflueren.blog.so-net.ne.jp/2012-02-08-3
Re. 時々懇Feb06(月)2012 -3/4 [和田の泊りより]
昨日は久しぶりに出席させて貰い皆さんの、
お元気なご尊顔を拝しました。
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西崎さんは相変わらず元気に世界を飛び回って今年も続くのですね。南極の話面白かったですよ。
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森田さんもパソコン入院中とのことなので代わりに写真送ります。カメラを換えたので勝手が良く判らずフラッシュを使わなかったので少々手振れしているかも知れませんがご勘弁を。クリックで拡大します。
取敢えずお礼迄。
月川@神戸
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森田さん。 レポートありがとうございました。 西崎さんの旅行の話、聞き逃して残念でした。 立飲みの日、2月27日か28日で如何でしょうか。 大船、横浜、川崎、蒲田、品川どこでも結構です。
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甲斐さん。 仙川行き、3月1日か2日は如何でしょうか。
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月川さん。 皆さんの写真拝見。 雑司ヶ谷にはジョン万次郎のお墓もあるようです。 彼のお墓と土佐清水の記念館行ってみたいと思っています。 彼が育ったFairhavenには数年前訪れましたので。
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毛利さん。 お元気そうで結構です。 一時福島から非難されていた中国の方、故国へ戻っておられたのですか。 どんな方がおられるのか。 お時間のあるときそれらの方が何故福島にこられたのか、日本の生活は、など興味があります。
大嶋 邦夫
Re. 横浜・汽車道の鉄橋 [和田の泊りより]
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寒い中の散策、御苦労さまでした。未だあちこちに古いものが残っているのですね。
AMERICAN BRIDGE COMPANY OF NEW YORK ,
何処かで聞いた覚えがある名前だと思って考えていたのですが,例の有名な餘部橋梁の橋脚が同社製だったのです。
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こちらは1909年着工だったので横浜の汽車道と2年違いですが,ほぼ同時代です。当時は未だ鉄橋も輸入する時代だったのですね。
リベットも懐かしい技術ですね。リベットは継ぎ手としては信頼性が高いと思いますが重ね継ぎ手となるため重量がどうしても重くなります。船などでも溶接を使うようになったのは戦後のことだと思いますが、逆に溶接による脆性破壊などの問題も起こしました。
鉄道車両などでも今では溶接は当たり前ですが、ついこの間までは
英国では台車に溶接を使うことは認められず鋳鋼が使われていました。
ニューヨークの地下鉄でも同様に重い鋳鋼製の台車が使われていました。これらの要求に従うために日本ではとうの昔に溶接台車に切り替わっていたのに輸出車輌となると態々鋳鋼で台車を作らされたのです。
逆に日本ではこんな大きな鋳鋼を吹けるところが殆どないので変な
苦労をしました。
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リベットにはこれとはまた違う想い出があります。以前皆さんに見て頂いた「再び東京へ」という拙文の中ににこんなくだりがあります。
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「昭和30年6月1日トロリーバス102系統池袋~千駄ヶ谷間が開通した。
この路線は今度開通した地下鉄の13号線と略同じルートだったが、
その後渋谷まで延び更に品川駅まで延長されたのだがしかし昭和43年には全線廃止されている。この路線が開業するに当っては車庫が必要でその候補地として戸山高校の横にあった土地が選ばれ整地作業を行なった後に車庫が作られた。当時鉄骨の建屋を作っていたが今のように溶接で組み立てるのではなくリベットで組み上げていた。
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このリベットを地上で真っ赤に焼いて上で鉄骨を組み立てているリベット工に渡すのだが屋根の上など高い所へは地上から飛ばしていた。
どうやるかと言うと真っ赤に焼いたリベットを1 m近い長いヤットコで挟んでこれを掬い上げるようにスィングして上へ投げるのである。
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上では手の付いたバケツ状の受けで受取るのだが誠に正確無比な
投擲技術で落としたのを見たことが無い。夕暮れの空を飛んでゆく真っ赤に焼けたリベットが流星のようにとても綺麗だった。
今では思いもよらないことだが昔はこんな技術もあったのだ。
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エアハンマーの音とともにこんな光景が懐かしく思い出されます。
村尾さんの鉄道橋の話から色々なことを思いだしてつい余分なことを
書いてしまいました。
月川@神戸









