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日本にも韓国にもいるホームレス [インテリボヘミアン]

                   by ぼくあずさ

日本にも韓国にもいるホームレスでも両者には決定的な違い

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インテリボヘミアン No.3 [インテリボヘミアン]

                       by ぼくあずさ

1970のクリスマスはスイス・グリンデルワルトのJurgenhrbergに
宿泊した。そこで英語で何やらスピーチをしている日本人の若者に
出会った。ビヤをご馳走して話を聞いた。

当時夏は北欧で働き、金を稼ぎ、冬は南欧に移動するボヘミアンが流行り
でした。北欧では日本人青年は人気者、金髪の少女から恋の手ほどき。

FE本川崎工場、日本を代表してSiemensで蒸気タービンの開発の勉強と
心に誓った私とは大違いのEchter Bohemien!
共通点は同じく旧天台中学で"ボヘミアンへの憧れ”をもつ僧侶のK先生の
英語の授業を受けていること。彼は北区赤羽の下駄屋の息子です。
私より1,2年下の学級だろうと思われます。其の後如何なる人生を送られ
たのか、一度再会したいものです。・・・


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インテリボヘミアン No.2 [インテリボヘミアン]

                                                             by ぼくあずさ

昼食はブレーメンのドイツ風パンとWeiss Wurst und Asahi The Dream
100%モルト生ビール。週一の特別メニュー。

或る事情から開成中学を受験せず、天台宗東叡山寛永寺の寺子屋をルーツ
にもつ旧天台中学の駒中で学んだ私。英語教師の神達先生は夏休みに叡山
で50日間の修行をして無事住職になられた。
”坊主と乞食は3日やったら辞められない””ボヘミアンボーイに憧れる”

江戸文学、西鶴研究の国語教師の青忠先生。学校の書庫にある天台宗の
仏典を研究されてDr.になられた。”早稲田大学には門がない”

96歳の長寿を全うした侍の娘曾祖母(嘉永四年生まれ)は孫娘の私の
母に”今に人に羽根が生える”と云い聞かせた。

縁故疎開で西多摩郡増戸村の母の生家(青梅材を伐採製材業を営み、山の
マークの柱材を東京、横浜方面に出荷)に昭和22年2月まで4年半、
野山
や秋川で遊ぶ毎日でした。

焼け野原の東京田端新町のバラックに戻り、滝四小に編入学、勉強より
増戸村の秋祭りや斎の神を優先、帰りは材木を運ぶ代燃トラックに便乗。
”よく遊び良く学び”を中三まで実践。材木屋の次男坊を自覚、高一より
大学受験の猛勉強。





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インテリボヘミアン 1/ [インテリボヘミアン]

                                                         by ぼくあずさ

私は日々室内で6000歩のリハビリの生活。
ブログは書いているが最近は
内容が乏しい。学友3人が小説を出版して
いる。私は技術論文は書けるが、小説を書く才能があるとも思えない。
今までの人生を振り返ると”よく遊び良く学び”を実践して愉しい想い出
作リが沢山できたと思う。

さて本論に入る。3年前に100日間の入院生活をして足が不自由になり、
身体を動かしての”よく遊び”が出来ない。それでは奇跡的に生き残った
考える能力のトレーニング。ボケ防止の為”脳のよく遊び”をLangsamに
実行する。

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インテリボヘミアン [インテリボヘミアン]

                                                      by ぼくあずさ

私のボヘミアン的な性格は縁故疎開先の旧増戸村で増戸国民学校
入学当時(昭和20年4月)から見られた。
同級生の身体のでかい裏の小作の勘ちゃんを連れて?隣村の
平井の宿へ出かけた。阿伎留野の原っぱの中を行く路が櫛状に
二つに伎れた処で泣き出した勘ちゃんを宥めるのに苦労した。
平井川は秋川に比べようもなほど水量が少なく、宿ではお目当て
の凧市は開いておらず村人にも会わず、詰まらない土地でした。
道端の井戸で水を汲んで勘ちゃんと二人代りばんこに喉を潤し、
空腹を紛らわした。

何の手柄話もないまま泣き虫勘ちゃんを連れて疎開先に帰ると
大勢の大人たちが駆け寄って来た。

ぼく「泣くのはやめろ」
大人たち
「坊や何処へ行って来たのか?」
ぼく「満州まで行って来た」との名セリフは暫く叔母から
聞かされた。当時のぼくのあだ名は「のざきの坊や」でした。

中学の若い英語のK先生から「ボヘミヤンボーイ」という言葉を
繰り
返し聞かされた。天台宗の寺の次男に生まれた彼は夏休みに
比叡山で修業を済ませ、青竹を担ぐことなく(僧侶になる修業に
合格)帰京した。

私がFDの川崎工場で蒸気タービンの設計をしていた1965年
の夏休み9泊10日の旅をした。
テントを担ぎ大きなザックを背負っての初めての海外
Wanderungでした。台中の中山公園のボート池畔でキャンプの
夜、スコールに見舞われ浸水、ボート監視員の張君
(市の有力家族の一員)に救出されヤモリが啼く見張り番小屋で
一夜を過ごしました。今思うとよくも長い休暇をとったものです。

私がフリューレン村の住人であった1970年のクリスマス休暇、
スイス・グリンデルワルトのJugendherbergで一人の日本人の
若者が英語で演説していた。彼の欧州でのボヘミヤン生活を聞く
内に私と同じ区内の赤羽に生まれ育ったことが分かりました。
まさかと思いながらK先生の話をすると、なんと若者は私の中学
の後輩でした。その後会う機会はありません。
どうしているだろうか。

今年の2月1日までの3ヶ月間の磯子リハビリセンターで
一時期同室であった私がインテリボヘミアン氏と名付けた方は
西ドイツ・ハンブルクで日本企業に勤めその後ウイーンでテキヤ
をして計4年半を過ごしたという。
彼の話の細部まで私の記憶する西ドイツでの生活に一致して
おり、誇張もない。しかも彼の兄は滝野川第四小の私の先輩で
した。

インテリボヘミアン氏と海自大型ヘリパイロット氏を囲んだ
お喋り会を始め、私の退所前には6名ほどの患者仲間が夕食後に
集まりました。西病棟一番の自主トレに熱心な久米の仙人氏が
退所後の連絡先になっていますので集まりがあれば連絡がある
ことになっていますが、一度京急日出町駅集合でお花見の会の
計画がありましたが、生憎の雨天で流会になりました。
今頃、どうしているのか時に思い浮かべることがあります。

友人P.Messerschmidtはドイツ人の旅好きを遥かに超える現代版
ボヘミアンです。フラウが露語の教師をしていたことから
旧ソ連邦や東欧諸国への旅の他に度々大型客船で船旅を楽しんで
います。香港まで来ましたが横浜には未だ来たらずです。
カテゴリー「Berichte aus Badkoestrich」をご覧下さい。

ポッダムの森.jpg私は何時かチェコ・ボヘミヤ
地方を時間を掛けての
W
anderungとベルリン・
ポッダムの森再訪をしたい
と漠然と考えていましたが、
病後のリハビリ生活を余儀
なくされて今では計画の立
てようがありません。
何時までも健康で居られ
ないことを失念していました。Es ist recht Schade!

最近の横暴な中国には御免被りますが、私が知る江南の春や黄山での親切な中国人たちの思い出、何時か中文再学習がてら気儘に歩いて
みたい、天台山を訪ねたいとの思いは萎えて来ました。


西行と定家 安田章生 [自宅静養]
http://dorflueren.blog.so-net.ne.jp/2014-02-27
新藝術家の眼に映じた支那の印象 芥川龍之介
http://homepage2.nifty.com/onibi/singei.html
純粋はちみつ
http://flueren.blog.ocn.ne.jp/dorf_flueren/2007/05/post_0bb6
葛城ユキボヘミアン - YouTube


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