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本邦航空黎明期外史(7):帝都訪問初飛行 [稲門機械屋倶楽部]

                                   ・・・2010-03-12 MEW36 村尾鐵男

帝都訪問初飛行

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所沢飛行場の臨時軍用気球研究会は徳川大尉がフランスから持ち帰ったアンリ・ファルマン機を基にして、独自の飛行機を設計・開発し、これを会式飛行機と呼び、大正元年(1912年)1024日、徳川大尉が操縦する会式2号機が所沢から代々木練兵場へ飛び、これが陸軍機による初の帝都訪問飛行となりました。いかに飛行機操縦に練達した徳川大尉が操縦しようとも、当時の飛行機は時速50km60㎞の速度で、飛行中にいつ停まっても不思議ではないエンジンで所沢と代々木の間を飛ぶのはまさに危険極まりない冒険でありましたが、この往復60㎞ほどの飛行を無事に完遂させております。

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話は逸れますが、代々木練兵場は明治42年(1909年)に陸軍によって新設された28万坪の広大な演習場でありますが、現在の渋谷区代々木神園町と神南二丁目に位置し、終戦後は米軍に接収されてワシントン・ハイツとなり、さらに後年には東京オリンピックの選手村となり、今は代々木公園と呼ばれています。

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この会式二号機は国産機でありますが、エンジンだけは国産化ができずにフランス製のGnomeエンジンを輸入しており、空冷星型7気筒回転式で出力は50馬力でした。回転式は別名ロータリー・エンジンとも呼ばれますが、空冷効果を上げるためにクランクシャフトを固定し、シリンダー側を回転させるものです。私は仕事の余得で数々のエンジンを見ておりますが、この回転式は残念ながら実物を見る機会がありませんでした。おそらく激しい振動で壊れ易く、不安定なエンジンであったろうと想像しますが、よくぞ使いこなしたと感心します。クランクシャフトを固定して、シリンダー側を回転させると一言で言っても、各シリンダーへの燃料供給と点火栓着火のための電力供給は如何に行ったのか興味は尽きません。

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会式二号機は複葉の二人乗りですが、エンジンは操縦席の背後に置き、プロペラはエンジンの後部に装着される”プッシャー“と呼ばれる方式でありました。エンジン前部にプロペラを装着し、プロペラの力で機体を引っ張る方式はトラクター式と呼びます。

陸軍の臨時軍用気球研究会は会式飛行機を少なくとも七機は製造し、これで飛行士の養成を行い、我が国の航空発展に多大な貢献をしております。会式五号機以降は、第二次フランス派遣の飛行士達が持ち帰ったモーリス・ファルマン機を模しており、エンジンはアメリカ製カーティス水冷V8気筒、100馬力に強化されました。

尚、アンリ・ファルマンとモーリス・ファルマンは兄弟で、この後の日本ではモーリス・ファルマン機の方が好まれたようで、これを「モ式」と呼んで多数が国産化されております。モ式1913年型は第一次大戦中にドイツ領であった山東半島の青島へ出陣し、日本の陸軍飛行隊としては初の実戦参加となりました。

(8)に続く


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ぼくあずさ

私は縁故疎開先の旧増戸村伊奈で終戦を迎えました。近くの国民学校に駐屯していた兵隊さん達が姿を消しました。国民学校一年生の時です。北伊奈の谷戸に隣の幸ちゃんや裏の勘ちゃんと一緒に初めて入りました。道路脇に掘られた幾つかの横穴の入り口に、引き出された飛行機のエンジンが黒焦になって放置されていました。B29の爆撃を避けて隠していたことが分かりました。星型エンジンとの初対面は米国との戦争に負けた悲しみの想い出です。

by ぼくあずさ (2010-03-20 07:34) 

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