So-net無料ブログ作成
戦争の記憶 ブログトップ
前の30件 | -

[インタビュー]「満州の朝鮮人『集団移民』の歴史の空白を埋めたかった」 [戦争の記憶]

                       byぼくあずさ
[インタビュー]「満州の朝鮮人『集団移民』の歴史の空白を埋めたかった」

nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

サイパン島の戦いと陥落、玉砕の意味とは?東京大空襲のきっかけ [戦争の記憶]

                       byぼくあずさ
サイパン島の戦いと陥落、玉砕の意味とは?東京大空襲のきっかけ

nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

零戦が再び日本の空へ、日本人所有の機体では戦後初 [戦争の記憶]

                       byぼくあずさ
零戦が再び日本の空へ、日本人所有の機体では戦後初

nice!(4)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

「地獄の島」は誤解 軍艦島の元島民らが韓国側に反論 [戦争の記憶]

                       byぼくあずさ
「地獄の島」は誤解 軍艦島の元島民らが韓国側に反論

nice!(5)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

2019-07-03 [戦争の記憶]

                        byぼくあずさ


nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

在留邦人危うし 中国軍精鋭が日本 [戦争の記憶]

                       byぼくあずさ
ドイツ人は日本に天津台連南洋諸島を日本にとられたと云う者が多い。南京大虐殺は
ドイツが広めた虚報といわれる。
在留邦人危うし 中国軍精鋭が日本

nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

徐州合戦 [戦争の記憶]

                       byぼくあずさ
母方の曾祖母杉浦スミの一族には4人の中将と2人の少将がいた。
北支開封にいた部隊から合戦に参加した実家の番頭さんから戦場の生々しい状況を聴いて
いる。徐州合戦では国民党軍による黄河堤防爆破による洪水により多くの日本帝国陸軍
将兵が水死。杉浦章陸軍少将もその一人です。
曾祖母杉浦スミ;杉浦章陸軍少将
https://dorflueren.blog.so-net.ne.jp/2018-11-17-16
麦と兵隊

nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

ガダルカナル島の戦い - Wikipedia [戦争の記憶]

                       byぼくあずさ
https://ja.wikipedia.org/wiki/ガダルカナル島の戦い

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

ガダルカナル 眠る輸送船…NPO、沈没の海底で発見 [戦争の記憶]

                       byぼくあずさ
伯父の家の番頭さんはガダルカナルから生還したが直に亡くなられたと聞いている。
ガダルカナル 眠る輸送船…NPO、沈没の海底で発見
https://www.yomiuri.co.jp/national/20190615-OYT1T50220/

nice!(4)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

【ボストンから一言(25)】父の手作りで参加した日本統治時代の提灯行列 [戦争の記憶]

                       byぼくあずさ
【ボストンから一言(25)】父の手作りで参加した日本統治時代の提灯行列

nice!(5)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

「キ94」高高度戦闘機・・・高度一万メートルに挑んだ若きエンジニア [戦争の記憶]

                       byぼくあずさ
「キ94」高高度戦闘機・・・高度一万メートルに挑んだ若きエンジニア

nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

われは海の子 [戦争の記憶]

                       byぼくあずさ


nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

“命のビザ”を繋いだもうひとつの物語、 [戦争の記憶]

                       byぼくあずさ
“命のビザ”を繋いだもうひとつの物語、
大迫辰雄社員の思いを今・・・ -前編-

nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

ラバウル小唄 [戦争の記憶]

                       byぼくあずさ
北支開封からソンソル島に転戦した実家の番頭さん、漁労長を務め栄養失調にならずに
敗戦後福音。兵員を上陸させた直後、乗船した軍艦は敵の攻撃で沈没。

1943年11月5日、ラバウルにおいてアメリカ空母サラトガ、プリンストンによる空襲にあい、機銃掃射により負傷者2名を出した[6]。続いて11月11日の空襲でも機銃掃射により負傷者3名を出し、さらに11月14日にも空襲で負傷者が出た[7]。11月、ニューブリテン島北方のガロペ島への輸送任務に従事。その3回目の際の11月24日夜、空襲を受けて至近弾により損傷[8]。損傷した駆逐艦長波を曳航してラバウルからトラックへ向かった後日本本土に戻り[9]、翌年1月から3月にかけて修理を実施する。

1944年3月2日内南洋諸島への緊急輸送(松輸送)が発令された。3月22日、東松船団旗艦としてサイパンにむけ護衛艦6隻、輸送船6隻とともに向かい30日にサイパン到着。4月20日パラオよりソンソル島への陸軍兵員350名と軍需品50トンを搭載し、4月23日「夕月」とともにサイパンを出港して27日早朝にパラオ到着。

1944年4月26日18時15分パラオを出港し27日ソンソル島に到着。揚陸作業を開始し、9時42分作業を終了して再び夕月とともに、パラオに向けて出港。ところが、19ノットで之の字運動で航行中、10時1分ソンソル島南端の95度35海里のところで12キロ先より米軍のガトー級潜水艦ブルーギル」(USS Bluegill, SS-242) に発見され、魚雷攻撃を受ける。6本のうち1本を右舷第1窯室に受け1,2窯室および付近に浸水区画満水となり航行不能に陥った。ただちに排水作業にはいるとともに「五月雨」に曳航を命じるが、夕張の排水量が大きくうまく曳航できずにいた。翌28日浸水区画がひろがり沈没しだしたため、生存者全員を夕月に移乗させ、さらに曳航作業を続けたが、午前10時15分、北緯5度38分、東経131度45分の地点で艦首より沈没。戦死19名をだした。

ラバウル小唄
ソンソル島 軽巡洋艦夕張

nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

大日本帝国海軍潜水艦勤務記録 インド洋#1 [戦争の記憶]

                       byぼくあずさ
大日本帝国海軍潜水艦勤務記録 インド洋#1  


nice!(3)  コメント(2) 
共通テーマ:blog

<あのころ>戦艦大和、撃沈される 母港に巨大模型設置 [戦争の記憶]

                       byぼくあずさ
戦艦大和の躯体設計者西島技術大佐も私と同様ドイツに留学して造船技術を学んだ
そうです。35歳で横須賀より呉れに派遣された。
Nishijima Technische Kaptaein zur See hat in Deutschland wie mir gelernt.
<あのころ>戦艦大和、撃沈される 母港に巨大模型設置
戦艦大和 広島呉大和ミュージアム
戦艦「大和」の一部始終 旧海軍「艦隊決戦の切札」 最強秘密兵器が東シナ海に沈むまで

nice!(6)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

#零式艦上戦闘機 #零式 #艦上戦闘機 [戦争の記憶]

                       byぼくあずさ
100万回再生!戦後初!日本人パイロットによる零戦が舞う!日本が誇る名機の圧巻
離陸![ゼロ戦]

nice!(4)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

元ゼロ戦パイロットが神戸で「証言」 長野県外で初上映 [戦争の記憶]

                       byぼくあずさ
元ゼロ戦パイロットが神戸で「証言」 長野県外で初上映

nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

フランスの挿し絵入り新聞で見た19世紀の東洋の戦争 [戦争の記憶]

                       byぼくあずさ
フランスの挿し絵入り新聞で見た19世紀の東洋の戦争

nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

硫黄島で戦後70年目の日米合同慰霊式典が行われる [戦争の記憶]

                       byぼくあずさ
硫黄島で戦後70年目の日米合同慰霊式典が行われる

nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

日章旗74年ぶり返還 戦死の父の遺品、兵庫の息子へ [戦争の記憶]

                       byぼくあず
日章旗74年ぶり返還 戦死の父の遺品、兵庫の息子へ


nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

戦艦大和 広島呉大和ミュージアム [戦争の記憶]

                       byぼくあずさ
戦後昭和22年3月6日父死亡の電報で母と子供5人は増戸村の縁故疎開先の母の生家から
田端新町のバラックへ移動。
何故か帝国海軍の軍艦2隻の木製の模型が遺されていました。風呂に浮かべて遊び粗末に
してしました。戦艦大和の設計はドイツ留学の経験のある西島亮二技術大佐でした。

nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

戦艦大和の内部を公開、大和ミュージアムで 巨大戦艦 … [戦争の記憶]

                       byぼくあずさ

nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

戦艦大和 その時歴史が動いた 2/7 ( 大和 ) [戦争の記憶]

                       byぼくあずさ
戦艦大和の設計はドイツで造船学を学んだ西島恭二海軍大佐です。
46吋砲9門を持つ渕院戦艦大和。
戦艦大和 その時歴史が動いた 2/7 ( 大和 )

nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

なぜ日本人妃が朝鮮最後の王に嫁いだのか [戦争の記憶]

                       byぼくあずさ
なぜ日本人妃が朝鮮最後の王に嫁いだのか

nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

早乙女勝元さんが語る東京大空襲「核並みの被害だった」 [戦争の記憶]

                       byぼくあずさ
早乙女勝元さんが語る東京大空襲「核並みの被害だった」

nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

徐州会戦跡 [戦争の記憶]

                       byぼくあずさ
1970年のクリスマスイブ、ドイツ語教師Margareta の叔父Onkel Teioh から
「君は50年前にWesel 旅団に派遣されていた二人の優秀な日本の軍人の再来である。」
と言われた。その方は徐州合戦で戦死された母方の杉浦一族の一人杉浦章陸軍少将でした。
徐州会戦跡

nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

敗戦直前の極秘計画「光建設」か 旧満州国の遺構を発見 [戦争の記憶]

                       byぼくあずさ
敗戦直前の極秘計画「光建設」か 旧満州国の遺構を発見

nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:blog
前の30件 | - 戦争の記憶 ブログトップ