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三浦一族の興亡 [Familie Gedichte]

                       byぼくあずさ
ご先祖三浦義明を衣笠合戦で自刃に追込んだ畠山重忠、
 

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<コラム>“徐州徐州と人馬は進む”、徐州にあった日本領事館跡を訪ねる [Familie Gedichte]

                       byぼくあずさ
曽祖母杉浦スミの一族に1938年の徐州合戦で戦死した杉浦章陸軍少将がいる。
私のドイツ語会話の先生Margareteの0nkel Teioh から1920年当時Wesel の
ドイツ陸軍師団に優秀な日本の軍人が派遣されていた。君はその再来だと云われた。
<コラム>“徐州徐州と人馬は進む”、徐州にあった日本領事館跡を訪ねる
麦と兵隊 

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外国人が体験!現役の宮大工が教える日本の伝統技法【ビックリ日本】 [Familie Gedichte]

                       byぼくあずさ
私の曽祖父は駿府伝馬町に住む立川流の宮大工です。曾祖母は同じ町の絵双紙屋杉本の
娘、母方のご先祖三浦⇒杉本⇒和田⇒杉浦スミと同族の可能性が大きい!!!
因みに私は富士一登駿河屋材木店の生まれです。
外国人が体験!現役の宮大工が教える日本の伝統技法【ビックリ日本】

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HOME > 大奥の構成メンバー > 奥女中のトップ・老女 [Familie Gedichte]

                       byぼくあずさ
HOME大奥の構成メンバー > 奥女中のトップ・老女
徳川慶喜に仕えた一色須賀という女性について

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小坪合戦と衣笠合戦 [Familie Gedichte]

                       byぼくあずさ
9月にご先祖三浦義明所縁の衣笠城址を訪ねる。
彼の墓も訪ねるべく調べる。
 
 

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巴御前:木曽義仲妾・和田義盛妻 [Familie Gedichte]

                       byぼくあずさ
和田義盛と巴御前の子朝比奈 の名は鎌倉と陸浦を結ぶ朝比奈切通に名を残す。
巴御前は和田合戦に参戦したのだろうか?
巴御前、朝比奈

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父の実家は立川流宮大工、私の曾祖母は杉本姓の絵双子商の娘。 [Familie Gedichte]

                       byぼくあずさ
母方の曾祖母杉浦スミは侍の娘です。桓武平家を祖とする三浦義明の傍系鎌倉幕府初代
侍所別当和田義盛、その父は杉本姓です。1213年の和田合戦に敗れたが生き残りが
近江に逃れ姓を杉浦に替え徳川家康と父松平氏の元で手柄を立て、第三代将軍家光の代に
は勘定奉行となり復活、第十五代慶喜の代には8400石取りの筆頭旗本になり相模の国を
知行、横浜市戸塚平戸には杉浦陣屋跡があります。
杉浦スミは上野戦争の混乱を逃れ、4年間程平戸の杉浦陣屋に隠れ住んだ後に増戸村伊奈の
野嵜に輿入れ。有力旗本の村奉行(帳元)永井と隠密同心と思われる在原に守られての
生活です。母と本家の叔父と新宿の叔父の結婚相手は永井帳元の調査され曾祖母の了承を
得たものと思われる。
父の実家は立川流宮大工、私の曾祖母は杉本姓の絵双子商の娘。
本家の叔父は檜原村の山林大尽の家、和田落人七軒組の娘を嫁にした。
新宿の叔父は西阿伎留油平の千代鶴酒造所の娘を娶る。八王子千人同心頭の家柄。

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函館奉行 杉浦正一郎 [Familie Gedichte]

                       byぼくあずさ
侍の娘である私の曾祖母杉浦スミの一族は慶喜時代の徳川幕府筆頭旗本。
杉浦正一郎は函館奉行でした。
新宿の叔父と私は共に正一郎の「正」を引き継いで命名された!!!
父が相談した成田山新勝寺の住職により「捷」に替えられた。
転生龍馬の生存戦争 ~暗殺を回避した坂本龍馬は、『巨大通販会社』を設立して、
新政府に立ち向かうことにした~

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男爵徳川誠 [Familie Gedichte]

                       byぼくあずさ
 父方の祖父は杉山からの入婿、その姉が徳川慶喜の九男誠の乳母と聞いていた。
出世頭の本家の長男が主唱するいとこ会に出席する小長井と呼ばれる女性でした。
徳川誠とは - goo Wikipedia (ウィキペディア)               

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駆逐艦「神風」 [Familie Gedichte]

                       byぼくあずさ
私の曾祖母、侍の娘杉浦スミの一族の一人杉浦嘉十海軍中将はマレーシアペナン島沖での
英駆逐艦隊との交戦沈没した重巡洋艦「羽黒」の艦長でした。我家の玄関ン正面に羽黒の
雄姿が飾られている。
駆逐艦「神風」

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新イージス艦「はぐろ」進水 Bmd対応艦8隻に 当面の [Familie Gedichte]

                       byぼくあずさ
曽祖母杉浦スミの一族の6人の将軍の一人杉浦嘉十海軍中将が艦長を務めマレーシア
ペナン島沖の英駆逐艦隊との激烈な交戦の末沈没した重巡洋艦「羽黒」の名前を引継いだ
イージス艦が私が住む横浜の造船所で進水した。
出羽三山奥宮参り「羽黒山」
 

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一色老女杉浦 [Familie Gedichte]

                       byぼくあずさ
私の曾祖母杉浦スミの母親の姓は隠されている。松平ではないかと想像される。
父は江戸幕府筆頭旗本。嘉永元年(1849年)誕生。
一色須賀は天保9年(1838年)旗本一色家に誕生、奥女中杉浦の養女となり一橋徳川
家入り、一色老女杉浦の誕生。
上野戦争後大本家野嵜に輿入れ迄の4年間に増戸村に村奉行永井と隠密在原を派遣して
問題がないことを詳細調査したものと思われる。
母が駿府生まれの父と婚約する際もその出目が調査されたと思われる。

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三浦一族の興亡・復活 [Familie Gedichte]

                       byぼくあずさ
三浦一族の興亡・復活

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鎌倉時代年表 [Familie Gedichte]

                       byぼくあずさ
1180年 衣笠・小坪会戦 三浦義明自刃
1185年 源義経守護地頭任命権与えられる
1205年 畠山重忠の乱
1213年 和田会戦 和田義盛敗戦 鎌倉幕府初代侍所別当
1223年 北条政子死去

1333年 鎌倉幕府崩壊

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順天堂大学医学部附属順天堂医院 [Familie Gedichte]

                    byぼくあずさ
侍の娘である私の曾祖母杉浦スミの長男野嵜長蔵は増戸村初めての自動車で東京の順天堂
病院に入院した。調べた処順天堂病院は天保9年(AC1838)に開設され西洋医学導入した
ことが判明した。

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2019-07-07 [Familie Gedichte]

                       byぼくあずさ

桓武平家家系


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衣笠城址 [Familie Gedichte]

                       byぼくあずさ
申月24日の和田合戦の日に中学時代の親友二人と和田塚を参拝した。
9月には家族でこれもご先祖の三浦義明の衣笠城址を訪ねる計画です。
彼の為に創建された3つの寺も併せて訪ねることにする。
小坪合戦と衣笠合戦
三浦義明の菩提寺~来迎寺(材木座)~

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平重盛邸から池跡が初めて出土 清盛の長男 [Familie Gedichte]

                       byぼくあずさ
昨日は裏の家の庭にキツツキが飛来した。今朝は早から鶯の鳴き声が続く。
ご先祖の鎌倉幕府初代侍所別当和田義盛の「盛」は清盛、重盛から採られたことが
分かる。桓武平家を祖とする三浦義明の傍系の鎌倉武士和田義盛は和田合戦に敗れたが
一族は杉浦に姓を変えて徳川時代を生抜いて幕末には8400石筆頭旗本でした。
平重盛邸から池跡が初めて出土 清盛の長男

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衣笠城址 [Familie Gedichte]

                       byぼくあずさ
昼食事時 小柴漁港から漁船の汽笛が暫く止まず、海南事件が起きたのだろうか?
庭の紫陽花が開花、昨日関東地方は梅雨入りとのこと。
衣笠城址

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三浦一族の興亡 [Familie Gedichte]

                       byぼくあずさ
三浦一族の興亡

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三浦一族の興亡: ぼくあずさの寺めぐり [Familie Gedichte]

                       byぼくあずさ
dorfflueren.cocolog-nifty.com/blog/2019/04/post-d530b7.html


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戦艦大和 西島恭二技術大佐 [Familie Gedichte]

                       byぼくあずさ

私の父方の曾祖母西嶋キクのご先祖は鎌倉幕府初代侍所別当和田義盛の父杉本義宗です。

西嶋キクの父西嶋角蔵は立川流宮大工。

早稲田の機械科卒後入社した富士電機川崎工場で熱計算を担当。首尾よく企業留学の機会

に恵まれSiemens TuW に長期滞在、K工場長の計らいで金髪美人のMaedchen が

雑用係に任じられ、開発部の皆が驚き納得!

西島海軍技術大佐もドイツ留学で造船技術を学んだ。戦艦大和の単納期建造に

ブロック建造法の採用と工数管理を実行した。





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時々懇百回記念文集原稿 [Familie Gedichte]

                                      byぼくあずさ
与えられた命題はFamilie Gedichte
「侍の娘の孫」を誇りにしていた母キンだが、その侍の娘である私の曾祖母スミの旧姓
は杉浦という。
杉浦一族の先祖は桓武平家を祖とする三浦氏の傍系の和田氏で、1213年の鎌倉和田合戦
で敗れたが義盛の八男、義国が近江に逃れ、杉浦と名を変え生延びた。
なお義盛は鎌倉幕府初代侍所別当です。父親は杉本姓を名乗りました。
その子孫、杉浦吉貞・勝吉親子は戦国時代に松平広忠、家康親子に仕え、蟹江城の攻防で
七本槍として活躍した。
徳川三代将軍家光の時代に勘定奉行として復活、将軍慶喜の幕末には8400石取りの筆頭
旗本となり盛隆を極め、江戸町奉行、勘定奉行、長崎奉行、函館奉行を歴任。
杉浦一族は大奥老女一色杉浦など大奥を支配した。
母から初代日本橋郵便局長がいると聴いていた。杉浦は甲斐の武田信玄征伐に参加せず
徳川時代は甲府藩を知行した。全国の各藩から選抜された秀才達が英仏独に派遣された。
その一人が甲府勤番の幕臣の子杉浦譲は2度渡欧、明治維新後に大隈重信公に抜擢され
仏国郵便制度を我が国に導入した。
杉浦は鎌倉武士であり明治維新後多くの者は帝国陸海軍に転職。将軍多数を輩出。
私が企業留学中の1970年のクリスマスイブでお会いしたドイツ語会話の先生Margarete
の伯父Teioh から50年前にWeselのドイツ陸軍師団に派遣されていた二人の優秀な日本人
軍人の再来だと言われた。該当する軍人は国民党軍が黄河の堤防を爆破して洪水を引き
起こし多くの日本軍将兵が水死する悲劇,徐州合戦で戦死した帝国陸軍杉浦章中将でした。
スミの甥杉浦全三陸軍少将は沿海州尼港事変で活躍、母が娘時代にお忍びでスミを訪ねて
増戸に来た。退役後は退官軍人の生活保障制度策定に貢献した。
我家の玄関正面に飾られた重巡洋艦「羽黒」の写真はマレー沖で英国駆逐艦隊と激烈な
交戦、多数の魚雷を被弾して沈没した艦に留まり殉死した艦長杉浦嘉十海軍中将です。
多くの水兵は駆逐艦「神風」により救助された。

杉浦スミの嫁ぎ先の西多摩郡増戸村伊奈の大本家野嵜は大福と並ぶ名家、1644年の
古文書に記載がある。阿伎留野の最西端にあり横沢の仙台萩で有名な1221年創建の
古刹大悲願寺の裏山にある水源から山田までの水路と広大な水田を独占所有する豪農。
水田脇には古墳があり古の豪族であった可能性がある。
長女ブンは山田の大福に嫁ぎ、大福からアカが長男に嫁ぐ。私は増戸国民学校2年生まで
母の生家の野崎本家の敷地内の二階建ての家に母と兄姉妹私の六人人暮らし。
父は終戦直前の栗の花が濡れた地面に落ちる頃、三度目の兵役から突然貴宅。

祖父は村一番の美人新宿の在原カヤを娶ると宣言・実行。在原は広大な畠を所有するが、
近在に同姓の家なく、学問がありその出目は知れず。隠密の役人かと思われる。
曽祖母杉浦スミの世話役に村奉行永井が派遣されていた。食料調達は二サさんが担当。
女中は平井村から娘が来ていた。
スミの威光を示す事柄。
(1)次男玉之助は山の印の青梅柱材を東京・京浜地方に出荷する荷主。
   山内大尽の山林を独占伐採・製材。
(2)長男は村初めての自動車で順天堂病院に入院。
(3)母は娘時代に和田三造画伯の肖像画モデルになる。
父廣雄と母野崎キンの出会いと結婚
父は静岡宿伝馬町の立川流宮大工棟梁の家に生まれ育つ。
曾祖父角蔵が急逝した時絵双図屋杉本惣助長女として生まれた曾祖母きくが家督を継ぎ、
其の後一番弟子の杉山留吉を養子に迎えた。その時祖母アキは13歳。
留吉の実家の連帯責任で破産、祖父母は東京下谷へ移住。

父は木場の問屋で働いていた兄を追って木場へ、当時日本一の材木問屋武市に就職、
番頭としてトラックに添乗して青梅柱材の仕入れ先の山の野崎材木店を訪問。
父は野崎の出目を知って驚き、美人の母に一目ぼれ? 東京生活に憧れていた母も
鼻が高くハンサムな父に心を動かされ!
偶然のことだが曾祖母の杉浦スミと弟杉浦幸次の屋敷は下谷に近い池之端にあり、
何かと親近感を覚えるカップル、スミの賛意を得て婚約。
母は新宿二幸にある料理教室に通う。四谷にある父の姉の嫁ぎ先の材木商宅で結婚
披露宴。なお本家の叔父は桧原村の山林家岡部大尽の娘を娶った。和田一族の和田
落人七軒組です。
.
早稲田大学へ進学。
上野寛永寺内の勧学講院に建学のルーツを持つ旧制天台宗中学、後の駒中に入学
したのも杉浦スミの影響があった。二つの蒸気機関区に近い滝四小で学んだ僕ちゃん
と呼ばれた私、誰もが開成中に進学すると期待していた。
仮に開成中に進学していたら私が早稲田の角帽を被ることはなかったと思われる。
駒中ではY先生からコーラス部員に指名されたがnicht musicalisch でした。
英語のK先生はボヘミアンボーイの生き方を語られた。早稲田大学文学部卒のA先生から
「門が無い早稲田」を聞かされた。
母が建築科受験を望んでいることは知っていた。縁故疎開先の増戸村の母の生家の
庭から見上げる阿伎留野の上空で帝都爆撃に飛ぶB29の編隊に高射砲弾は届かず、
急降下体当たり攻撃する我が戦闘機。首尾よく成功しても敵機は煙を吐きながら逃走
する口惜しさ。大きな日米の技術差を知る。この仇を晴らすには機械科で学ぶことだと
確信。機械科の学友は皆さん有名受験校卒揃いでした。入学後も高校一年の時に遊び
から勉強に切替えた生活を継続。入学早々入部した自動車は館山での冬合宿を最後に
退部、機械科の連中は皆同様でした。早稲田大学運動部と勉学は両立せず。
早稲田大学の四年間での楽しい想い出。
野球の早慶戦、特に安藤投手の六連戦完投勝利。ラグビーの早明戦。大学二年生の
夏休み墨田川でのナックルフォアの漕艇。下流の鐘ヶ淵にある荒川放水路への連絡
水門前で突然名前を呼ばれた。見ると立大エイト上で駒中時代の学友Wさんが手を
振っているではないか。
四年の春休み名古屋地区のトヨタから九州三菱長崎造船所まで10社ほどの恒例の
工場見学旅行。長崎で解散、5名程で九州各地を巡り、桜咲く霧島温泉で韓国岳
登山後に一人別れ宮崎、延岡から今は廃線になった日之影線とバスで高千穂往復。
恩師横田教授の推薦で富士電機入社。川崎・三重工場での各1ヶ月間の工場実習後に
常務面接、原子力設計配属を告げられたが、火力設計を希望。願いが叶い熱計算係へ。
京大機械卒の係長、係員は3名の東大機械卒と私、頗る居心地の良い職場。
昼休みは東大で流行っていたオークションブリッジ。私のパートナーは立高卒の秀才。
私の義父は早稲田大学評議員、電気科名誉教授。伯父は北海道大学農学部長、義兄は
東大卒筑波大名誉教授。

旅好きな母の血を受継いだ私!全都道府県を漏れなく巡り、社用と家族旅行で30ヶ国
を訪ねた。Siemens TuW 滞在中に母と下の妹と共に6日間欧州旅行した愉しい想い出。

父方のFamilie Gedichte
父は静岡宿伝馬町の裕福な立川流宮大工の家に生まれた。私の曾祖母、紺屋町の絵双紙
屋、新聞取次商の杉本惣助の長女きくが13歳の時父親が急死、家督を継ぐ者が居らず、
弟子の杉山留吉を入り婿に迎える。杉山の実家の連帯責任で倒産、伯父は中学を出て
深川木場の材木問屋へ、父は町内にある菩提寺新光明寺に預けられた後、兄を追い木場
へ、当時日本一の材木問屋武市に就職。両親は上野下谷へ移住。武市倒産後、父と伯父は
独立して材木商を始めた。父は伴侶を得て三河島に店を開く。田端新町の新設の明治通リ
沿いに富士一登駿河屋材木店の旗を東京一の高さの旗竿に揚げた。
五人兄弟姉妹の中で私と次女が田端新町生まれ。
商才のある父はアサヒビール、東京食品、日活蒲田撮影所その他武市の顧客を引継い
だ他、新たに12人の棟梁方を顧客にした。父は戦後材木商再開直後の昭和22年3月に
東大病院の医師の往診の甲斐なく他界。
戦後栃木や福島の実家に戻った武市の番頭時代の同僚たちの製材工場から建築材が
鉄道貨車と馬車で母の生家から木炭焚きトラックで運び込まれた。
「大工の技を絶やすな」という父の言葉を胸に刻んだ母は棟梁方の総力を挙げた新居
建設に取組み私が早稲田大学に合格した昭和32年に完成させた。
皇居新宮殿建設に係った大工も参加。今三女が相続。頭の良い長男は大学進学を諦め、
家業を継ぎ舎人にある足立営業所を任された。

父方は侍の家系ではないので杉浦のような華々しいFamilie Gedichiteはない。
家族旅行で三島を訪ねた時、兄と同じく鼻筋が通りハンサムな多数の男性に出会った。
私の従兄の出世頭の大手住宅建築会社副社長を務めた本家の長男は杉山からの入り婿の
祖父と同じ顔立ち。私が企業留学で西ドイツ滞在中ドイツ語会話の先生Margarete から
貴方はNordgerman の高い鼻型をしていると言われた。家族内で評価が低い杉山の血を
父を通じて受継いでいたことになる。
立川流宮大工の西嶋は駿府浅間神社の能舞台建設に係ったと聞いていたが、今日久能山
東照宮の設計図が本家に保管されていることが判明した。
祖父の姉は後に貴族院議員になる徳川の慶喜の九男誠の乳母でした。
又私の伯母は駿府時代の慶喜に献茶したことがあると聞いている。
僕ちゃんの近況
毎朝6時半起床、ブログ「フリュ―レン村だより」への投稿と室内3㌔歩行。
2月に80歳、曽祖母杉浦スミの94歳の長寿記録まで余命14年程。
社命での京大研究室行きを断りDr にならなったこと一生の不覚。
短編小説「インテリボヘミアン」の執筆は未だ筆を執らず!
Storm のImmennsee を改めて読む!
Familie Gedichteの原稿を書き終えた80歳までの人生を思い返すと鎌倉武士
和田義盛の血を受継いでいることを感じる。
DrisDay の Que Sera Sera

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曾祖母杉浦スミ;杉浦陸軍中将 [Familie Gedichte]

                       byぼくあずさ
1970年のWeinacht Fest の時お会いした独語会話の先生の伯父さんOnkel Teioh さん
から50年前にWesel の独陸軍師団に留学していた優秀な二人の軍人以来初遇の日本人
だと言われた。其の後調べた処、彼が言う日本人軍人の一人は徐州合戦で戦死した杉浦章陸軍少将に
間違いない。ご冥福をお祈りします。
南洋ソンソル島から復員した実家の番頭さんは開封近郊で満鉄警護をしていた。黄河の
洪水時に上官の岡本氏を銃を投げて救命した話を聴いていた。蒋介石軍が黄河を決壊さ
せたことなど戦況が一致する。

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